彗星のてんぷら

あげたての星からはイマージュの匂いがする

韓国ミュージカル『ブラザーズカラマーゾフ』感想四連単

今回『ブラザーズカラマーゾフ』が公演されたYES24劇場の入口。韓国のブロードウェイともいうべき大学路には、こういう劇場が町中に溢れていて年中多くの作品が上映されている。

 日本という小さな島国で密やかに生活するドストエフスキーオタクのわたし、かかり真魚が韓国ミュージカル『ブラザーズカラマーゾフ』に激突してから一年半あまり。

 病的な興奮に苛まれ眠れなくなり、SNSに挙がり続けるファンアートや感想を翻訳機に掛けて貪り読む傍らハングルを覚え始め、自分でも何が何だかわからない高速回転を続けるさなか思いがけず早々にやって来た再演を迎え、よわよわ韓国語を握りしめ単独で渡韓して遂に、現地で四公演観劇したときの感想をまとめました。

 嘘です、まとまってない。人間には言語化してまとめられない情動がある。しかし観るたびに「わたしは一体何を見せられてるんだ……」と圧巻された空気感と、観たものをなるべく未来の自分のために記して残してあげたいという気持ちで記事を書きました。もっと詳細に自分の感情に分け入って書けたら良かったけど、基本的には観たものを書き付けているだけの感じです。また、観劇後にホテルに帰り、深夜までポメラですごい勢いでぶつけた文章をちょっと直しただけのやつなので所々読みにくいかもしれませんが、オタクの病的な興奮の振動と思ってご了承ください。

 ここまで書いておいてあれですが、基本的には自分用です。当然ながら、原作小説のネタバレもありますのでご注意ください。

 

17日昼公演

キャスト:キム・ジュホ、チュエ・ホスン、キム・ジェボム、チョン・チェファン、キム・リヒョン

17日昼キャスト。記念すべき初回、2021年版から引継ぎのジェボムさんのイワンが楽しみすぎて公演時間を間違え、二時間も早く劇場に到着してしまった。

 一階席真ん中の席で観た。すごく良い席、そして想像以上に舞台に近くて興奮がやばい。基本的にイエス24の座席はどこも観やすかった。
 舞台中央にフョードルの棺。向かって右側にドミトリーの房、アリョーシャのいる修道院、左側にイワンの部屋、地下室のスメルジャコフの部屋が配置されている。なおこの配置、場面によって実際彼らがいる場所になったり、一方そのころ……という演出に使われたり、概念空間になったりと非常に多面的に機能することになる。セット自体がものすごく綺麗だった。

 青白く舞台が染まり。中央口から兄弟たちが出てくる。ヒョードルの棺の周りをぐるりと回って定位置につく。リヒョンさんのスメルジャコフが一番最初に入って来るのだが、ひどい猫背で驚く。もっとかわいらしいスメルジャコフを想像していたんだけど、結構不穏な感じがする。
 赤いガウンを羽織ったヒョードルが上手側から登場。
 ぶかまのヒョードルの赤いガウン、多分原作の赤い包帯から来てるんだろうと思う。全体的に青白い舞台なので凄く映えてよい。

 冒頭のアリョーシャ持ち曲『まだ愛せると言うこと』。今公演からは、最初と途中で教会の鐘の音が鳴る改変があるようだ。ジェファンさんのアリョーシャは低めの声で歌い、背も高いためか意志がしっかりしているイメージを受ける。「離れていても僕たちは兄弟だ」のところで、三隅にいる他の兄弟に光りが当たる。格好良い演出。繊細さというよりかは安定があり、歌詞の中心となる言葉「弱いということは、まだ愛せると言うこと」の指す弱さにも割と度量が感じられる。

 ドミトリーが父殺しの容疑を掛けられ、逮捕前にする演説。
 ホスンさんのドミトリーは朗らかで、あまり大声を張らない。少し笑いながら、間合いを取りながら話す。ぶかまのドミトリー・フョードロウィチは原作のミーチャとは系統が違い、軍人気質が前に出た雄々しいイメージがあるのだが、ホスンさんのドミトリーはあの原作のあずまやで、もしくはモークロエで出会うことが出来る我々のミーチャを彷彿させる。「俺はそんな男だ」も幾らかの剽軽さと自嘲が籠もっている。すごくいい。アリョーシャとのやりとりも良かった。揺らぎの少ないアリョーシャと、彼に「僕は兄さんを信じる」と言われて心底うれしそうにするミーチャの様子に「わたしが見たかったのはこれ……!」という気持ちになる。もはや原作の枕のくだりまで一気に見えるような、そんな感じのミーチャだった。

 ジェボムさんのイワン。2021年版で見ていたが、全然演技が違う。今回のボブワンはすべてに倦み疲れ、擦り切れ、心を閉ざし、苛立っているイワン・フョードロヴィチ。冒頭から一貫して、アリョーシャに対する言葉は、目の前の人間と会話をする気があるのかと思うほど早口で、投げやりで、義務的。全く目を合わせない。抑揚を欠く投げつけるような大審門官の朗読はさることながら、「兄さんも救われるよ」というアリョーシャの言葉に、こんなに無感動なイワンがこれまでいただろうかというほど冷たい。痛ましい顔もしなければ、嘲笑いもしない、思うところがあるような含みさえなく、ただ無反応。この公演では、イワンとアリョーシャのあいだで感情が行き来することが本当に最後になるまで訪れなかった。

 スメルジャコフ。リヒョンさんのスメルジャコフを可愛いタイプだと思っていたので、どこか狂気走った演技に胸が騒然となる。イワン・フョードロウィチの狂ファンというかんじが全開にになったスメルジャコフで、始終怖かった。
 ぶかまには、フョードルの死に化粧を長男ドミトリーに変わってイワンが行い、その白粉を拭うためのハンカチをスメルジャコフに求めるシーンがある。いわゆるスメイワ美味しい場面のひとつであるが、リヒョンスメルは両膝を付いて、まるで捧げ物のようにハンカチを手渡す。大体、みんなそういう感じではあるけど、両膝までついているスメルジャコフは初めて観た。イワンが喋っているとき、横で聞きながらゆっくりと広角が上がっていくリヒョンスメル。こええよ。
 イワンの話に触発されるようにスメルジャコフが悪魔の話をしたとき、「悪魔を見たことがあるのか?悪魔なんていっちゃだめだ、誰も見たことがないんだから」と言いながら、何も知らない子供をあやすみたいにボブワンがスメルジャコフの頭を撫でる。
 撫で……????
 わたしがマクゴナガル先生だったらスメイワに3000点をあげただろうが、マグゴナガル先生ではないので暗闇で静かにきわめて行儀よく興奮するしかない。この回のボブワンは、スメルジャコフよりも寧ろ一貫してアリョーシャに冷たかった。
 リヒョンスメルは動作が大仰で、イワンの論文の台詞を両手を広げ、舞台を移動しながら暗唱する。演技っぽい仕草にフョードルみがある。17日昼公演では、動作が大仰だったのがフョードル、アリョーシャ、スメルジャコフの三人なのが面白かった。アリョスメ、めちゃくちゃ仲悪いのに動作の癖がそろってお父さんに似てるんだな。

 スメイワの「賢い人とはちょっと話しても面白い」を凝縮した楽曲『水蒸気』。
 リヒョンスメルがイワンを好きすぎて、スメイワ歴十年のわたしでも鼻白むほどのやばさが炸裂している。思想を分けてくれた相手という距離感というよりは、崇拝、もしくは推し的な感覚に近いのかな……どっちかというと、フジ版ドラマーゾフの最終回みたいなテンションのスメルジャコフ。「私はイワン坊ちゃんが一番好きです」という台詞、あまりにも気持ちが迸りすぎて声がうわずっているじゃないか!!!こわい!!!
 イワンが割と普通に「なんだこいつ……」となっているのに説得力がある。でもまだそこまで冷たくない。今回、イワンがスメルジャコフに「消えろ」と言わないんだな。
 何らかの秘密の共有を示唆し、「私の名前は水蒸気と言う意味だ、水蒸気のように消えないと……」とリヒョンスメルがボブワンの脇を通る。その瞬間、舞台の真ん中ではっと何かに気づいたように棒立ちになるイワン。この瞬間、イワンは直感的に「誰が父親を殺したか」分かっったのだ。このときの演技がすごく良くてびっくりした・・・今までほとんど情というものを見せなかったイワンが初めて大きく揺れた瞬間だった。

 父親への殺意を兄弟全員でお互いに暴き合う喧嘩曲『戯れ言』。
 ちなみに有名な賛美歌が下敷きになっており、とにかく曲がいい。
 この楽曲の前に、イワンがミーチャの独房を訪れて喧嘩するという「原作はそんなシーンありませんけど?」という楽しいシーンがあるのだが(つうかぶかまは大体これ)、イワンがミーチャのところにフョードルの遺灰を持っていくという演出がある。今公演は、本曲のときに、ミーチャが今度はイワンの部屋にそれを撒き返しに行く。えっ、良いなその演出……。
 兄弟たち(特にイワン)が「この体から父親の血を抜いてしまいたい」と歌っているとき、キムフョードルが「そんな願望を表に出しちゃだめ」というようににやにや笑いながら、しーっと指を口元に持って行くのがえっちすぎる仕草でびっくりした。

 イワンとアリョーシャが幼少期の頃の思い出を交換し合う曲『箪笥の中で』。
 ほっそりのあと、舞台の真ん中に声もなくうずくまってしまうアリョーシャ。しきりに怯え、「怖いんだ」と溢しながらもイワンと会話を始めると、表情がやわらかくなっていき、心を開いていくアリョーシャ。ずっと無感動のイワンに心を痛め、何とか救いたいとしている必死さと優しさが見える。しかし相変わらずイワンはアリョーシャを相手にしていない。この箪笥、感情的なイワンを演じるひとはめちゃくちゃ泣いたりするので、今回のボブワンの冷たさは異様な感じもする。アリョーシャのリーズに関する告白にもほとんど無反応。途中、二人はずいぶん離れて座っていたのだが、アリョーシャがイワンの手に自分の手を重ねにいく。しかし、まじで何の反応もないイワン。アリョーシャが兄の地獄に対してなんとか救いはないかと心を痛め、やさしさに苦しみ、骨を折っているのが分かる。

 ミーチャが父に対する遺憾の気持ちを込めて歌う『足のない鳥』のあと、房を訪れたイワンに対して、原作で言うところの「童はなぜ惨めなんだ」にあたる話をする。これまでの自分の行いを悔い、父親の死に関しては無実だけど責任がある、と訴えるドミトリーの様子にその場から逃げ出すイワン。
 ドミトリーの様子を目の当たりにし、遂にスメルジャコフに詰め寄るイワン。
 しかし、今公演のボブワンは既に答えを知っている。この「もうイワンの中では答えがでている」というニュアンスの演技が素晴らしかった。「お前が殺したのか?」「私が殺したんじゃ無いでしょう」「ドミトリーが殺したんだよな」「何を仰ってるんです?」台詞は同じだが、もうすべてを理解しているイワンの、それでもただ聞かずにはいられないから聞いているという切実さに圧巻される。この言語外に伝わる情報の演技力がすごすぎて改めてキムジェボムさんのすごさを実感する。

 スメルジャコフの独白曲、『発作』。
 毎回思うのだが、ぶかまが成功し、誰彼もの胸を焼け野が原にし続ける所以は、やはりこの「発作」の発明に寄るところが大きいだろう。ドストエフスキーは原作小説の中で長尺の独白をあえてスメルジャコフから奪ったが、ぶかまは一時間半という短いミュージカルのなかで、それを彼に返すことで、彼がこの地上で感じる苦痛をまざまざ明らかに表現してみて、観る者を息も詰まるような宙づり状態にする。
 すごく個人的な告白という感じで、誰に向けているわけでもない。虐げられて生きてきた人間の存在の痙攣、震えとしての「「「なぜ」」」という怒りが充満したような演技と歌だった。
 発作の曲のあいだ、イワンはスメルジャコフが載っている棺の横に四つん這いになるように座り込んでいる。「あなたの戯れ言は格好良いけれど余りに弱い」のとき、立ち上がって矢印のように全身でイワンを指すスメルジャコフ。かと思えば、ふいに柔らかくなり、膝をつきイワンに向き合う。「お前も父を殺せ、妨げはしない」「あなたは私にそういってくれた」のときに手を伸ばし、スメルジャコフはうなだれるイワンの頭にそっと触れる。
 楽曲が終わり、倒れ込んで叫ぶスメルジャコフの全身に白い布をかぶせるイワン。
 ボブワンは「俺がやらせたんだ」「俺がやらせた」と口走りながら、布ごとスメルジャコフを抱き起こすような感じになる。えっ起こしてあげるパターンなんだ、優しい……と思っていると、不意にスメルジャコフもイワンの体に手を回し、抱きつくような抱擁になる。「なに……」と思っているうちにスメルジャコフの布は剥がれ、再びイワンの頭に触れるようにして棺の上を降りる。
 今更ですが、これお父さんの棺という舞台装置をつかった台の上でやってるんですけどえっちっすぎないです?
 イワンの目の前で首を括るスメルジャコフ。舞台の狭さと殆ど役者が常に出ずっぱりという異空間めいた舞台構造ゆえの演出だが、これ目の前でやらせんのほんとすごいな。

 イワン・フョードロヴィチの持ち曲「大審問官Ⅰ」。
 ありがとう、これを観に参りました。
 荒廃した砂漠にひとりで立ち続け、誰の言葉にもこころを濡らすことを辞めてしまったようなイワンだったが、今再び疲れた三白眼で天を睨みつけ、自らの苦痛に、世の中の凄惨さに応答しなかった神に対し「袖があるなら振って見ろ」と言わざるを得ないイワンの苦痛が爆発したようなボブワンの歌。かさかさに乾いた寂しい場所に居続けた人間の悲鳴と、もはや「その自らの悲鳴しか愛せない」と神に宣言する痙攣ような歓喜
 もう誰もこのひとに触れないし救えないんじゃないか、と思うほど孤独を感じた大審問官だった。今まで見たイワンで一番荒廃した場所にいるイワンでした。つらい。
 楽曲が終わり、倒れ込んでいるイワン。そんなイワンをみて、あるいはまたイワン以上に心を痛めているアリョーシャ。冒頭のボルゾイの話を再度アリョーシャに向け、「こんな人間でも救われるか?」と聞くイワン。アリョーシャの台詞は決まっているのだが、目の前のイワンに対して「その将軍は、死刑です」と言うのになかなか言葉を紡げない。ものすごく懊悩し、心を痛めて言っている演技。その後のアリョーシャの曲「大審問官Ⅱ」の歌い出しはほとんど泣き声だった。手に十字架を巻き付けている。最後、カラーを置くアリョーシャ。「ひざまづきません」とは言うが、神への問いは芽生えても、最終的に神を捨てることはないんじゃないかというアリョーシャだった。
 舞台の照明、象徴的に巻かれる白煙の演出も生で見ると本当に美しい。
 ほとんど小道具のない舞台なのだが、すべてが過不足なく、それぞれ二重三重の意味を与えられ象徴的に扱われているのも上手いなと改めて感じた。

 

 

17日夜公演

キャスト:キム・ジュホ、チュエ・ホスン、キム・ジェボム、ドンヒョン、キム・リヒョン

スメイワ神回。見たあと深夜三時までホテルの部屋を歩き回ってしまった。

 

 昼間とアリョーシャのキャストさんだけ変更した夜公演。この日は平日にも関わらず、一日に二回も公演があった。ものすごく人気の回で席を取るのが大変だったが、午後公演でボブワンとリメルが揃う回だったからだと思われる。イワンが神に対して向ける視線の延長線上に立つことが出来る、通称「神になれる席」と噂の二階席を確保。二階席もすごく観やすくてよかった。

 ホスンさんのミーチャが「ドミトリー」になってる! 叩きつけるような言葉の話し方で、野蛮さと荒々しさがでている。ぶかま名物のザ・退役軍人ってかんじのドミトリーだった。え、これ昼間のあずまやのミーチャと同じ人が演じてるんだよね……と混乱する。まじでキャストが変わったのかと思った。

 キャストが変わったのかと思ったその2、ボブワン。今回は、同じ言葉でもアリョーシャに向き合い、優しく、ゆっくり、噛んで含めるように話す。「神がいるという証拠がどこにあるんだ?」というとき、両肩に手を回して、まるで信仰に身を捧げる弟を本当に神から返してもらわなきゃと言う感じで喋っている。
 夜公演のボブワンは、彼自身も分かっているというくらいに、本当は神を切望している節があった。つまりアリョーシャに話している「証拠がない」「だから神はいないんだ」というのは、怒りを抱いてもなお救いを求めてしまう自分自身への戒めでもあり、完全な諦めと放棄を自身に促す二重構造の言葉となっている。
 ついでにいうなら、このイワンはドミトリーが父親を殺したのも本当に気の毒がっているようなふしがあり、ただ証拠があるから仕方がないと思っている感じだった。疲れてはいるが優しく、誰よりも繊細なイワン・フョードロウィチ。スメルジャコフへの当たりもやさしい。
 しかし、ボブワンである、父親に対する殺意の表現はどのイワン役の役者に比べてもピカイチの表現力がある。どの場面でも、父に対しては殆ど目を合わせない。フョードルの持ち歌『生を愛せよ』後の、杯の中の砂(ちなみに概念的にフョードルの遺灰である)をこぼすシーンでは、他の二人がさらさら少しずつこぼすのに対して、さっと全部巻いて終わってしまう。お父さんのこと、本当に嫌いなんだね……というのがボブワンは毎回ひしひしと感じられる。
 ぶかまではイワンと悪魔との対話シーンの後、イワンの意識にあちら側が雪崩込むように、布を被せてあるフョードルの死体が動きだし、それをイワンがおびえながら押さえつけるという場面がある。ボブワンは、2021年版で主流だったフョードルの体全体を押さえるという演出ではなく、首を的確に絞めにいく。そしてフョードルが動かなくなって、初めて父の首を絞めた自分の行動に驚いて飛びずさり、恐怖と驚愕を露わにする。

 イワン、ドミトリーの部屋二回目の訪問。イワンはたぶん、ドミトリーの部屋で眼鏡を外している。ということで、このへんからイワン・眼鏡なし・カラマーゾフになる。お昼はずっと掛けたままだったのに……昼夜両方見ているわたしのためにですか、どうもありがとう。
 昼とは違って、スメルジャコフに「お前が父さんを殺したのか?」と聞くときのイワンは、確信がない。ドミトリーなのかスメルジャコフなのか、ずっと揺らいでいる。
 「あなたが殺したんじゃないですか」とスメルジャコフから頬に血を付けられるイワン。リヒョンスメルに対して初めてガチのやばさを感じて慌てている。怯えながら関与を否定するイワン。このときのリヒョンスメルが話の通じ無さに示す「なんでわからないんだ?」「分からないなんてダメなのに……」という台詞の言い方の、よさ~~!!!
 「あなたがわたしにさせたんじゃないか」のくだりから、関与を否定したいイワンはスメルジャコフの首を絞める。基本的に物静かで大人しく、歯をむき出したりしないイワンだったけど、この時は笑みに顔を歪めて必死に締めているという感じ。押さえつけていたあらゆるものへの憎悪や攻撃性が、今スメルジャコフに向かって一気に発露されている。だからスメルジャコフ個人に対する攻撃というニュアンスよりは、意味合いが二重写しになっている感じがある。首締め後、スメルジャコフが動かなくなると素に戻り、しばらく呆然としているが、やがて自分がやったことが染みていくように動揺し始める。顔がふいに優しくなり、弱さとおびえが表情を走る。このとき急に再び動き出したスメルジャコフに腕を捕まれる……そしてスメルジャコフの持ち歌『発作』へ。毎回思うけどこの演出考えた人、本当に天才じゃないです?

 リヒョンさんの『発作』、やはり爆発的なエネルギーがある。「人は神よりも奇跡を信じる存在だ」「だから私が奇跡を作ったんだ!」のところの悲痛さ、彼にそう言わせる苦痛が胸を圧迫する。毎回思うけど凄い歌詞じゃない、やめて……えええん。
 歌い終わり、棺の上に倒れて叫ぶスメルジャコフに布をかぶせるボブワン。なんか2021年版のネイバーで見た三公演は、共犯を叫ぶスメルジャコフを必死に隠そうとして、あるいは黙らせようと布を掛けている感じだったけど、今回のボブワンはどちらかというと彼の苦痛を見ていられなくて布で覆ってあげるという感じがする。激しい演技では無いのに、感情がうわずりのように表情や身体を走って行くボブワンの表現力……。布で覆ってすぐに自分も棺の上に上がり、横たわるスメルジャコフを布ごと抱きしめるイワン。
 先ほど向けられた「あなたがさせたんじゃないか!」という告発を今は自ら認め、スメルジャコフに対して「俺がやらせた」「大丈夫」「大丈夫」とひどく優しい声で、絶え絶えになって繰り返しているイワン。
 するとイワンの背中に腕を回し、ぎこちなくも抱きしめ返すようにして、起きあがってくるスメルジャコフ。お父さんの棺の上で抱き合うスメイワ。
 布が剥がれたあとのリヒョンスメルには、冒頭の狂信的な表情はない。二人はしばらく見つめ合う。ここで二人の中の歯車が噛み合う。リヒョンスメルはボブワンの弱さと苦痛に理解を示したような感じで、そっと、慰めるように静かにイワンの頭を左手で撫でる。不自然にも左手で、やさしく……。
 かつてこんなにこの二人の間に交感があったペアを見たことがなかったのでこの辺から現場のわたしが粉々になってしまったのは言うまでもない。こんな場面、当然原作には無いが、ぶかまの台本にもないのである。いや寧ろ、pixivでもみたことないですけど!!?
 もしかしてこの二人は手を取り合ってこのままフランスに行くんじゃないかと思ったけど、公演時間が一時間三十分しかないのでフランスには行かなかった。スメルジャコフは布を持ち、イワンを置いて棺を降りる。そして、布を横抱きにしてしばらく立っている。なにそれ、ピエタです……?
 自ら首をくくるスメルジャコフ、打ちひしがれるイワン……。そして『大審問官Ⅰ』へ。
 この公演のボブワンの溢れる苦痛、神に対して「なぜ」と問わずにはいわれない悲痛さは物凄かった。ちなみに、やっぱりイワンの『大審門官Ⅰ』はぶかまでいうところの大きなクライマックスなので、客席の皆もちょっと座り直して姿勢を正して見るのが面白い。わかる、こんなイワン・フョードロウィチのソロパートがあったら、ちょっと呼吸を整えないと観れないですよね。
 ボブワン特有の地団駄大審問官、今回は地団駄だけでなく、斜めに倒れ込んで笑い出すところまでフョードルと重ねていてしんどさがしんどい。神を信じたいけれど許容することはできない、その苦痛を今歓喜に変えようというナンバーである大審問官、今回のボブワンはすごく「合っていて」よかった。すごくなんというか、切実で苦しくてうつくしくて良かった。
 裁判シーン。最後のイワンの演説、聞き手に対する先回りの仕方がキムさんのフョードル仕草になっているのとかもしんどくてよかったです。ボブワンは父親のやった仕草や言葉遣いを(無意識の)イワンの演技にかなり強く反映させるんだよね……。「私が父の死をもっとも望みました」と最もをつけているのもよかったです。

 ちなみに、『ブラザーズカラマーゾフ』は、本当にキムさんのヒョードルがいい。2021年版はけっこうイケてる親父でかっこいいフョードルっぽかったのだが、今回はより原作に寄せたフョードル像になっている。髪も白髪が増え、品のない剽軽さが増し、より演技的に、道化的になっている。韓国のミュージカルファンの方に聞いたのだが、キムさんは原作を読み込み、かなり自分で台詞を増やしているらしい。たしかに、キムアッパは「好色な~」にあたるゾシマとの面会シーンで、たぶん他のフョードルの二倍か三倍かはしゃべっている。この台詞の組立が、いわいるドストエフスキー作品の、とりわけカラマーゾフの兄弟に顕著に出てくる詭弁の構造になっていて本当にうまいのだ。聖書や相手の言葉に対する混ぜっ返し方も、ほんとうにすごくフョードルみたいだ。この上手さは、特に2023年版の巧みさはちょっと筆舌しつくしがたい。
 ちなみにこの公演、友人とバーに行き今自分たちが観たものを確かめ合い色々話したけれど、ホテルに帰ってからも正気に戻れなくて午前三時までホテルの部屋を歩き回ってしまった。
 台本は一緒なのに、あまりにも解釈の幅が広すぎるぶかま……こんなの一万回観たって足りないんじゃ無いですか?
 病的な興奮とはこういうことをいうのだろう。おれは今歩きたい気持ちなんだよ!

 

 

18日夜公演

キャスト:シン・チェヒョン、イ・ヒョンフン、カン・ジョンウ、パク・サンヒョク 、イ・ジュニュ

18日夜公演。カン・ジョンウさんのイワン・フョードロヴィチの色気がすごすぎて、観劇で得られる情動のすべてが言語化を迎える前に「えっちだな……」に吸い取られてしまう。

 キャストもガラッと変わった18日夜公演。
 最初に歩いてくるとき、先頭のスメルジャコフがなんかちょっとゆっくりな感じがした。
 シンさんのフョードル登場。生で見るのは初めてなのだが、見始めてすぐに「こういうおっちゃん東大阪にいっぱいおるな……」という気持ちになってきて、わたしのなかで今回のカラマーゾフ家はロシアの東大阪カラマーゾフ家ということになった。
 ヒョンフンさんのドミトリーは長男ぢからが強い。最初の「俺はそんな男だ」まではぶかまっぽいドミトリーなのだが、以降はほどんど声をあらげず、始終もの静かともいえる雰囲気で話す。「お前も俺が親父を殺したと思っているのか?」とアリョーシャに聞くとき、両膝をつくドミトリー。それに併せて、離れたところから急いで近づき、自分も跪いてドミトリーに胸の十字架を渡すアリョーシャ。この演出がよかった。今回のキャストは、割と台詞に間を持たせて、話し始めるまでにちょっと空白がある演技がところどころあった。
 アリョーシャ役のサンヒョクさんを直接見るのは実は二回目で、ミュージカル「種の起源」で青色のほうのハン・ユジンを演じていたのがサンヒョクさんだった。そのときは非常に攻撃的な演技と歌い方で場を盛り上げていた。とにかく声量があって歌がうまくて驚いたのだが、まさかアレクセイをやるなんて。相変わらず歌が巧くてブレない。なおアリョーシャの解釈としては、わりとぶかま正当派という感じで怯えや弱さを前に出したアリョーシャだった。劇中、たびたび発作を起こしていたのが印象的。

 カン・ジョンウさんのイワン・フョードロヴィチ。
 初演で黒ハイネックの高飛車そうな若旦那イワン・フョードロウィチを演じたジョンウさんが戻ってこられると聞いたときは楽しみだったのだが、想像以上になんか……好きでした。
 SNSで写真が流れてくるたびに「えっ今回眼鏡掛けてるんだ……」「めっちゃ良い……」「よもや、わたしの念写じゃないでしょうね」と密かに思い続け、好みすぎてTwitterで事前にあまり騒げなかったほどがち好みのヴィジュアルだったのですが、生で見たら佇まいがすてきすぎてもうむりだった。
 背が高く、姿勢が良く、薄情そうな顔と表情で、所作は静かで丁寧だが高慢さが滲む。家の者と話すときはポケットに手を入れるのが癖、潔癖性で、低い声で話すがややハスキーボイスで、みたいなイワン・フョードロウィチが目の間に現れたら目を覆っちゃわないですか?なんでそんなことするの?(動揺)あしがながい(動揺)
 ここ三年間くらい、イワン・フョードロヴィチは眼鏡なしが良いというブームだったのだが、カンバンのお陰で久々にひっくり返った。

 『何を信じる』アリョーシャとの最初のデュエット、ボブワンに比べるとカンバンはアリョーシャの間に物理的にも距離を取りながら歌っている。かなり淡々としているイメージ。
 カンバンは悪魔とのやりとりが印象的で、基本的にぶかまのイワンは悪魔を煩わしく、もしくは恐れているのだが、カンジョンウさんのイワンは舞台の真ん中に直立し、怯えもせず、寧ろ顎が少し上がって挑発的に話している。イワン・フョードロヴィチ、えっちだろ、やめなさい。
 なおこれらの様子に、「これまでになく所作に余裕がある。これがもしかして、なかおかさん(先に渡韓観劇済み)が言っていた最後まで正気のイワンか?」と身体に力が入った(これは振りです)。
 ちなみに悪魔とのデュエット曲(よく考えなくてもイワンと悪魔のデュエット曲があるミュージカルが最高でないわけがないじゃないですか?)が終わり、布をかぶせた父親が動くところは、すっと首を絞め、大人しくさせて終わりのカンバン。特に罪悪感もなさそうな感じだった。おまえは父殺し職人か?
 ジュニュさんのスメルジャコフは、イワン本人よりかはイワンの思想に興味がある感じ、あるいはイワンの思想を通じてイワンに愛着を持っているという感じ。抑揚の少ない急いた感じで、イワンの思想を話す。
 カンバンは冒頭、あまりスメルジャコフを相手にしてない。スメルジャコフから渡されたハンカチで、おしろいを執拗に手を振いた後、「すでにそうしています」のところでかなり遠くから投げつけて返す。横柄~~!!!
 ちなみに今公演では、ドミトリーとイワンが二人とも物静かで落ち着いている。一回目の訪問の時も、殺し合いかねないくらい喧嘩する組み合わせがあるなかで、彼らは静かな大人っぽいやりとり。ものすごくアダルティーな長男と次男……あらやだ、色っぽいじゃない……。
 ヒョンフンさんのドミトリー、しずかな哀しさが漂っていて堪らない。グルーシェニカを求める曲の切実さが本当に良かった。「彼女がいれば、世界に勝てる」の歌詞のところ、本当にすてきだったな。
 スメイワ曲、『水蒸気』のイワンとスメルジャコフのかみあわなさ。カンバンさんは割と普通にスメルジャコフを「なんだこいつ」と思ってる感じだが、相手にしてないのであまり視界に入ってない。
 とにかくカンバン、不自然なほど姿勢が良いのがいい。ほっそりのときも、ふりつけの最中、始終姿勢がいいのがえっちだった。そんなカンバンだが、動揺したり気持ちが高ぶると服の裾をパンッと直したり、ハンカチで手を振いたりする神経症っぽい感じも細々入っている。不安になるとボタンを触ったり服を直したりするのえっちですね。
 ほっそりのとき(喧嘩曲『戯れ言』の韓国語読みがホッソリである)、カンバンは両手を広げて棺の上で一くるりと回転するのは知ってたけど、イワンお嬢様……という感じで生で見ると殺伐と優雅が融合しすぎてすごい。そしてみんな同じ衣装なはずなのに、カンバンのコートの裾が異様に広がってうつくしいのは何故なのか。
 ほっそり後、発作を起こしているアリョーシャ。イワンが心情的にやや歩み寄っているか?という感じだが、動作などにはあまり現れていない。
 アリョーシャが、リーズとのやり取りをイワンに打ち上げる場面。サンヒョクさんのアリョーシャ、リーズとの会話をリーズが言ったそのとおりの言い方、ニュアンスで再現してるんだな、という告白の仕方をする。結構、言われたことを苦しそうに告白する演技をするひとが多い中で、もう一歩入り込んでいる演技。言い方がすごくリーズでめちゃくちゃ良かった。「同情しないでよ、アリョーシャ」と本来の台本に名前を足してるのもリーズぢからがつよい。思えば、ぶかまで女達の台詞が出てくるのはこのリーズの部分だけなんだなと改めて思う。サンヒョクさん、リーズが上手すぎてリーズ役やらんかなというくらいだった。
 リーズの話をしているとき、イワンは反応せずに下の方を向いていたように思う。

 スメルジャコフの部屋から自身の思想の書き損じを大量に発見したイワン、ドミトリーが犯人ではないかもしれないという焦燥を抱きつつ、ドミトリーの牢に行く。ものすごく静かで落ち着いたドミトリー。もはや原作のミーチャよりも先に行っているのではないか、と思わされる感じだ。えっちでしかない。
 自分のこれまでの生き方の罪を告白し、「わたしを許してください」とひざまづくドミトリーをあざ笑いながら起こしに行ったら、逆にすがりつかれて振り払うのに必死になるイワン。何とか逃れたカンバンに、「イワン!!!」「イワン!!!」と追いすがるように叫ぶドミトリー……。
 スメルジャコフとイワンの会話。ドミトリーにあれだけ名前を叫ばれたカンバンは、スメルジャコフの名前を呼ばず「おい」と話しかける。
 このあたりから、これまで周囲から一歩後ろに下がり、揺るぎない冷静さを示していたイワンが動揺から上手く話せなくなる。何かに怯えるように、混乱するように、確かめるように、そもそも言葉を忘れたように、つっかえながら話す。
「お前が、」
「お前が殺したんじゃないよな?」
「私が殺したんじゃないでしょう」
 この瞬間、揺らいだことへの安堵感からドミトリーの牢の方まで走っていって悪態を付くイワン。ドミトリーへの威嚇を示す横顔から、激しい安堵感が滲む。そしてもうその一言を聞いたらいいという感じで舞台を捌けようとするイワン。最後に「じゃあドミトリーが殺したんだな」と言って終わりにするつもりだったのに、「どれはどういう意味ですか?」と言われてスメルジャコフのところに引き替えさざるをならなくなる。
 スメルジャコフから「あなたが殺したんじゃないですか」と言われる際、頬に血糊をほんのちょっと付けられただけで、ばっと後ろに飛び退くカンバン。言われた言葉を信じられない様子、耐えかねるようなあとずさりを数歩。動揺が目に見えてわかる慌てようで、頬に血糊は少ししか付いてないのに、慌ただしくポケットからハンカチを取り出して拭い出す。スメルジャコフの言ってることが信じられなくて、ただ無意識には心当たりがあるのか、言い訳もしきりに言葉につかえている。言葉が出てこない。
 賢いはずのイワンが自分の言葉に凄まじい勢いで動揺していくのを眺め、「わからないなんてだめなのに……」とぼそぼそ言ってるスメルジャコフを、また呆然と見るカンバン。なんか全体的にふらふらしだす。原作っぽいじゃないか!
 言い争いからの首締め。長いこと首を絞めるイワン、動かなくなってから長いこと起きあがらないスメルジャコフ。片方の足を前に出すようにして地面を踏みしめ、まじで殺す気じゃないかという必死さだったイワンだが、スメルジャコフ動かなくなってから気を取り戻す。自分のやったことに焦り、触ってもスメルジャコフの反応がないのでスメルの襟に手をやったりしてそわそわしだす。現状がよくわかってない、もしくは確かめるようにスメルジャコフを触ったり眺めたりする時間が長い。本格的に動かないので絶望した様子で、視線を上に上げたところで腕を捕まれる。
 発作の最中、改めてスメルジャコフの部屋にいくイワン。まだ信じられない。しかし、部屋から大量の自分の書き損じの論文を見つけ、確証を得ると同時に自分の罪について理解しはじめる。自分の言葉が引き金を引いたのだとでもいうように、書き損じの紙をあつめたり破いたり撒いたりするので、過去観たことないほど舞台が散らかっていく。
 発作ではジュニュメルも地団駄を踏む。たぶん今日初めて地団駄を踏んだんだろう、という感じのぎこちなさ。事前にフョードルが地団駄を踏むシーンがあり、それをなぞっている感じ。感情の発露がイワンに向かっているというよりかは、怒りの矛先は世の中すべてという感じ。
 イワン・フョードロヴィチの『大審問官Ⅰ』。
 これまでほとんど表情の動かなかったイワンが微笑み、歓喜にふるえ、歯をむき出して歌うのでわたしの正気も削られていく。どこから取り出したのか、本を破いてそれを撒き、また紙が増える。あんまり台の上には登ってない。神に対して告発の比重よりは、自分のしでかしたこと、自分のやってきたことが招いた行動に打ちひしがれている感じ。ずっとすましていたカンバンがもやに包まれながら恍惚とした表情を浮かべるとすごくえっちなんですが、胸が痛いのとえっちが同時に来るので心の道路規制ができずに玉突き事故がおこる。カンバンのイワンも地団駄っぽい振りがあるが、地団駄というよりかな何かを怒りのあまり踏みつけているような感じがする。これまでの自分を踏みつけているみたいな、あるいは応答の無い神とこの世界を悔しくて踏みつけようとせざるを得ないような、そういう印象。歌詞の「苦痛が良くて生きてるんだ」「すべてのことを耐える力が俺にはある」「すべてに耐えるうつくしい、おれの苦痛」のところの演出が言い知れないほどの……つらい情感なのですがえっちでした。この場面は今回から変化してるらしく、イワン・フョードロヴィチの抱く地獄が歓喜に開かれていくかんじがよく出ている。

 曲が終わり、舞台前にくずれているイワン、すがるようにアリョーシャの名前を三回呼ぶ。アリョーシャ、『大審問官Ⅱ』歌いだし。アリョーシャに大審問官という題名の曲を歌わせようという発想がすごいなと今更のように思う。アリョーシャ、歌ってる最中はイワンを解放せず、歌い終わりとともに抱きしめる。顔を伏せ、子供のようにアリョーシャにすがりつくようにするカンバン。あんなに姿勢のよかったイワン坊ちゃんを思うとわたしは……カンバンのえっちさすごくない?緩急が激しいっていいよね、というきもちに。
 落ち着いている長男。もう裁判でおまえを次男というやつはいねえよ。
 ドミトリーの台詞の後、「わたしが犯人です」と立ち上がるカンバン。悪魔に対して挑戦的に立っていたあの自信と威勢の良さは露と消え、ふらつき、まるで悪事を告白する子供のように怯えている。声もずいぶん小さい。つかえながら「私が……犯人です」「スメルジャコフに殺人教唆をしたんです」と話し始める。最初は全然ろれつが回ってない、しかし次第に不自然に、必要以上に調子づいて、最後は大演説という調子になっていく。にいさんは病気なんです! 冒頭に見たときは、これがずっと正気のカンバン兄さんですかとおもっていたので打撃が強い。痙攣のような微笑み。爽やかなんだ……の解き放たれた感じ。話し終わったあとは、正面に向かって座り、耳を押さえている。悪魔の声でも聞こえているのだろうか。
 最後にアリョーシャが修道服のカラーを置いて「決して、跪きません」と言った瞬間、死後世界にあたるだろう場所で座っていたスメルジャコフが唇をきゅっとつり上げて嘲笑、すさまじい喜色を示すと同時にがくっと頭をさげる。めちゃくちゃ怖かった。

 

19日夜

キャスト:キム・ジュホ、ヤン・スンリ、オ・チョンヒョク、チョン・チェファン、キム・リヒョン

空前絶後のチンピラ・イワン・フョードロヴィチに魅せられた回。イワンを翻案するのにこういう味付けは中々できない。アルベール・カミュが観たら解釈違いで泣いただろう。

 四度目となる今回が最後の鑑賞。せっかくなのでスメイワかぶりつきの席で見た。上手の前から四番目。舞台の役者を見上げる形になるが、ここまで来るととにかく近い。光に照らされた役者の表情、感情の発露がダイレクトによくわかる。
 
 ヤンスンリさんのドミトリー、出だしから声がでかい! 暴力的なドミトリー像が全面にでている。周囲をあざけるような口の端だけで笑うのがうますぎるぜ、やんどみ! ちょっと神経質そうな顔付きのヤンドミは、それが絶妙な癇の強さ、あるいは気品となって現れるので、その移ろいを観るのも面白い。
 チョンヒョクさんのイワンは、他の二人のイワン・フョードロヴィチとは違い、事前情報が一切無くてノーマーク状態だった。冒頭から眼鏡がなくて「眼鏡ないな……」と思っていると、しゃべり出しからすごいチンピラ風でびっくりした。えっ、一体なんなんだ、このガラの悪いイワン・フョードロウィチは!!!
 チョンヒョクさんも喋るときにポケットに手を入れがちだが、前日のカンバンとはニュアンスが違う。北野武作品に出てくるインテリヤクザみたいな感じもある。胡散臭さも強く、この胡散臭さが絶妙なドストエフスキー味になっている。ちなみに品は全くないので、露悪的な性格の悪いYouTuberみたいな感じもじゃっかんする。もしくは、スターバックスとかで液晶越しに大学生向けに怪しげなセミナーをやっている若い男。大学にいたとき、インカレサークルに入っていて結構友達とかもいそうな軟派さを感じる。あっ、もしかして友達がいるほうのイワン・フョードロヴィチさんですか?
 なんというか、翻案作品で「イワン・フョードロヴィチ」を組み立てるときに、だいぶ捻らないと出て来ないようなキャラクター付けになっていて面白かった。こんな方向性に伸ばしたイワン・フョードロヴィチ、わたし初めて……!!!
 チョンイワ、ものすごく感情を込めて大審門官を読む。読むというか、一人劇みたいなかんじ。台詞を気持ちをこめていちいち演じている。ちなみにこのイワン、他のイワンはスムニダ体でフォーマルに喋っているところもヨ体に崩して喋っていて、やはり何となく軽い。相手に対して敬意を示さないのをわざとやってる感。わりと自分の考えに自信ありげ。自分のことを「神の手から離れてやった」と思ってそうな感じというか。
 系統としてはアン・ジェヨンが演じるイワン・フョードロヴィチ像に近いものがあるのだが、ジェヨンさんのイワンが傲慢で高潔で面倒くさい悪役令嬢なのに対して、チョンヒョクさんは本当に所作が隅々までチンピラ。何度も言うか、なぜだか胡散臭さが先立って品がない。如何にも「よっ、カラマーゾフ!!!」という感じなのだ。確かにお父さんに似ている。改めて、このキャラクターの再発見はすごい。ちなみに、この日はフョードルに加えて、上二人の佇まいや演技に品がなく、アレクセイは苦労するだろうなって感じだった。イワンが最初にミーチャの独房に行くときも両方とも攻撃性が剥き出しで、相当仲が悪かった。昨日のしっとりした兄たちとはまるで大違いである。ちなみにチョンイワは父の遺灰を落とすとき、ヤンドミに手で受けさせていました。やめたれ。
 スメルジャコフ役は、初日と同じリヒョンさん。今日のスメルジャコフは、ボブワンに対するよりかはチョンイワに対し冷静で、距離がある。え、まじであれなんやったや。動作はでかいが、あくまでイワンの教えを通じてイワンに一目置いている感じ。ファン仕草がなく、狂気ばしってないので、17日公演の五倍くらい可愛く見える。ちなみにリメル、フョードルの「おれが死んでいるからだ!」の時の笑い方が全然笑ってなくて、はははは、てただ声出してるだけみたいな感じと、スメルの夢のときに一気にバラを投げて、あとからしわけするみたいな感じなのは三回とも同じだった。こわいが? あと、『父と息子』の楽曲でドミトリーがフョードルに銃を突きつける場面、イワンもスメルジャコフも前のめりになるんだけど、その様子を見て笑っているイワンをスメルジャコフが五度観くらいしていた。彼のなかの殺意を確かめるみたいに。

 『水蒸気』のとき、「この癲癇持ちの下男野郎が」ってイワンがスメルの胸ぐらをつかむけど、自分が掴んだのに放したあとすぐに急いで手や膝をハンカチで拭う。このイワンもちょっと潔癖で、とくにスメルジャコフを汚いものだと思っているような演技が節々に入る。
 アリョーシャ、全体的に静かに耐えているイメージ。特にホッソリ後のおびえが特徴的で、舞台の前にうずくまって真剣に怯えている。近づいてきたイワンの「アリョーシャ」という声にまで怯えて、わっと飛びずさって顔を上げる。
 ちなみに、『箪笥の中で』で一番アリョイワのこころが通じていたのはこの日の二人だったと思う。歌いながら、何度も二人でお互いの目を見ている。歌に入る前にイワンがアリョーシャにいろいろ尋ねるが、わりと切実というか、イワンのほうがアリョーシャとしゃべりたいんだろうなという演技。人を見下した態度で、決して同じ土台に立とうとしなかったイワンがやっと武装解除したかんじもある。
 ヤンスンリさんのドミトリー、『足のない鳥』では砂を手を広げて落とさず、手のあいだから溢れさせる。冒頭の二人の仲がまじで最悪だったので、ここでしんみりと話をするドミトリーとイワンの落差に味がでる。あんな「韓国ノアール作品かな?」と思うほどお互いにアオリ合っていたのに……。

 スメルジャコフとイワン。問答の後、最後に「じゃあ誰が殺したって言うんだ!」のとき、襟首を掴んでスメルジャコフを立たせるので、立ったまま血糊がつく。チンピライワンを襲う、強い動揺。冒頭からずっと人を食ったような態度だったので、余裕がなくなってくると落差が強調されていいよね。そしてこのイワン、冒頭からの好感度が低いので、何となく「痛い目に遭ってる」ように感じるのも面白い。
 発作の最中、完全に腰が立たなくなって座り込んでしまうイワン。体を壁に預けて、足を投げ出している。えっちだが?
 スメルジャコフの部屋に行き自分の論文を見つける。最初は笑うが、次第に事態が染みていくのか徐々に真顔になる。スメルジャコフの部屋で倒れ、発作の予兆。部屋から這い出たところをスメルジャコフに指さされる。自分の罪の告発を受けるイワン、曲が終わった後にふらふらになりながらスメルジャコフの顔付近に布だけかぶせるが、すぐに後ずさって離れる。棺の後ろの方で、先ほどスメルジャコフから言われた言葉を否定するように、「おれじゃない」「おれじゃない」「おれじゃない」を繰り返している。
 そんなイワンを尻目に、ふうっと上半身だけバネ式のようにひとりでに起きあがってくるスメルジャコフ……非常に怖いが、ボブワン回と比べると全然違うし非常に辛い。これは同じミュージカルですか? 布を取ると、舞台の真ん中で布を横抱にしてピエタのようなポーズをとるスメルジャコフ。そして首を括る。
 暗転後、大審問官Ⅰ。なんというか、チョンイワは彼自身が「チンピラ悪魔」という感じで、彼自身はほとんど神と手を切ったつもりだっただろう。なのに一連のことでひどく動揺し、罪の意識を覚えてしまったことで逆に自分の中に神を見つけてしまう。自身のひび割れたところから、完全に追い出したと思っていたはずの神が入ってきてしまい、再び正面から「なぜ」と問わなくてはいけなくなる、という感じだった。
 完全に精神が崩れてしまうイワン。アリョーシャが歌っている最中、棺に背を預けて座っているが、どこか別のところを見てしきりに笑っているのと怯えているのを繰り返している。見えないものを観ている様子。
 ドミトリーの裁判シーン。
 やんどみ、やはり声がでかくてガラが悪い!!! これまでのミーチャはこのシーンではみんな落ち着いているのだが、やんどみはそう言う落とし方はしなかったようで面白い。続いてイワンの演説、先程まで虚な目をして空笑いをしていたのに、いきなり冒頭の詭弁っぽいチンピラに戻って演説を始める。しかし、言ってることのめちゃくちゃさと目が変なので完全に崩れていることがわかる。最後の「悪魔の唾が……」から「さわやかだ」のところに至っては歩き方がぎこちなくなり、節々が曲がらなくなり、壊れた人形みたいになりながら移動する。棺の前に来ると客席を向いて座り、右手をすっと上に上げて「私が父の死を望みました」という。
 見ながら、ここにきて右手なんだね、イワン……という気持ちで胸がいっぱいになる。全体を通じてずっと自らを偽装し、軽薄さを纏い、胡散臭さがフル全開だったこのチョンイワが最後に「右手を挙げて父の死を望んだことを告白する」というのはすごく良い。原作アリョーシャの「僕は兄さんにこのことを伝えるために、天から使わされてきたんです」という精霊に満ちたシーンと被せてあるのは言うまでもない。このあたりの機微は台本にはないので、イワン・フョードロヴィチ役のオ・チョンヒョクさんが個人で練り上げたものだろう。
 チョンイワ、完全にダークホースだったが、変なセミナーを開くとともに露悪系YouTubeとして名を馳せ、三流チンピラとしての胡散臭さと柄の悪さと軽さを纏ったようなイワン・フョードロヴィチという今まで考えたことも無いようなイワン像を見せてもらえて、しかも単に奇をてらってやったのではなく、しっかりと原作に根を張った翻案として魅せてもらえたので、本当に本当におもしろかった。

 

結論:ぶかまは面白い。また観に行きます!!!!