彗星のてんぷら

あげたての星からはイマージュの匂いがする

約束された勝利のドストエフスキーオタク #ぽっぽアドベント2021

 はじめに

 はとさんのご好意により、今年も #ぽっぽアドベント2021 に書かせて頂けることになりました。
 とても楽しみにしている企画で、今日までの記事もどれも楽しく読ませて頂いています。皆さんの語られる歓びに触れるたびに、もちろんそればかりではなく、深い溝がどの日々にも横たわっているだろうことに思いを致しつつも、それでも日々を重ねる人生の祝福を聞くような気持ちになっています。
 ちなみにわたしは昨年、#ぽっぽアドベント で自立と生活を手にした喜びを綴った「椅子とせいかつ」という記事を書かせて頂きました。

 

kakari01.hatenablog.com

 

 自分の生活の手触りを言葉に出来て、自分でも楽しく書いた記事でしたが、反面、わたしの迸るオタクパッションは鳴りを潜めてしまった部分があり、そこが反省点でもありました。
 もっと、わたしの情熱をぶつけた記事を書いてみても良いんじゃないか。
 そう思っていた頃に、今回の「私の望みの歓びよ」という題材を頂いたのです。題材を見た瞬間「もう、絶対に書くしかない」と思ったのは、わたしのライフワークになっている『ドストエフスキーオタク』としての生活です。
 以下、ご笑覧いただければ幸いです。

 

                ※

 


 今年はドストエフスキー生誕二百年だった 

「今年は何の年だったか知っていますか?」

 街頭でアンケートを取れば、恐らく様々な言葉が返ってくるだろうが、もし万一にでも「今年、2021年はロシアの大作家フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキーの生誕二百年目でした」と嬉々として答える人間がいたら、そいつはロシア文学者か過度の文学好き、もしくはわたし(ドストエフスキーオタク)だろう。
 そう、今年は記念すべきドストエフスキー生誕二百年目だっだのだ。
 今、この記事を読む多くの人にとっては「えっ、そうだったの?」という初耳案件だろうし、「だから何なんだ」という疑問さえあるかも知れない。
 だが、わたしのようなドストエフスキーオタクにとっては、今年2021年は最早祭りであり、大忙しの一年だった。
 実のところ、今年は世界中の様々なところでドストエフスキーに関するシンポジウムが開かれ、論文が書かれ、雑誌に特集号が組まれ、世界を跨いでの「罪と罰」全通朗読が配信されたりと、とにかくドストエフスキー界隈としては盛り上がりに盛り上がっていた。
 また、いまだ感染症の猛威が収まらない最中なので、シンポジウムの様子はZOOM等で配信され、一般公開されたりと、怪我の功名的なささやかな喜びもあった。さすがにモスクワ大学の学会には恐れ多くて繋げられなかったが、日本の大学の露文学科の学会で推しのロシア文学者の発表を聞けたりと、めちゃくちゃ有り難い体験も出来た。
 NHKでは「100分de名著」で『カラマーゾフの兄弟』の回が再放送され、更に朝の情報番組では「ドストエフスキーと若者」という題材で、今若者のうちでドストエフスキーがどのように読まれているかが紹介されたりもした。(なお、この番組では通りすがりのドストエフスキーオタクの若者がインタビューを受けたりしているのだが、果たしてドストエフスキーオタクの若者が街角で偶然捕まるのものかという部分まで含めて色々な面白さが宿っていた)

 

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写真1 現代思想ドストエフスキー特集』 表紙がお洒落で嬉しい


 このように、ドストエフスキー界隈は、知る人ぞ知る感じで「祝祭年」を迎えていたのである。
 九年ほど前に「カラマーゾフの兄弟」を読んで以来、もうハマりにハマってしまっているわたしにとって、ドストエフスキーは自ジャンルである。(ちなみに読んでいる作品数自体は多くない。厳密に言えば、わたしは特に『カラマーゾフの兄弟』に特化したドスオタなのである)
 嗚呼、自ジャンルの祭り。
 十九世紀のロシアの小説である、どんな推しであっても誕生日は不明だ。
 ならばもう、この祝福は作者の誕生日に捧げるしかないではないか!
 と、言った人がいたかどうかは不明だが、とにかくドストエフスキーオタク界隈の末席にいるわたしにとっても、非常にありがたい一年だったのである。

 

 

 そもそもドストエフスキーオタク」とはなんぞや

 今更だが、ドストエフスキーオタクについて説明しようと思う。
 少し前は「ドストエフスキークラスタ」通称ドスクラとも呼ばれていたが、いまはドスオタのほうが通りが良いようだ。
 わたしが指す「ドスオタ」は狭義で「ドストエフスキーの小説作品にたびたび登場する巨大感情に色々を見出しては、日夜、酸素を吸って燃え上がっている人間たち」のことを指す。
 世界古典名作文学として名高い『カラマーゾフの兄弟』が、至高の兄弟巨大感情物語であり、語り出すと九年経っても未だ口が止まらない(わたしである)ほどの熱量を秘めた作品であることを知っている人は、いるにはいるが、未だ一般常識になるには至っていない。
 ええ、そりゃあもう、すごいんですよ!!!!!!!!!!
 感情のすべてをビックリマークの数だけで示すことが出来たら一京個くらい付けたい気持ちだが、多分伝わらないので十個で我慢しておこう。
 『カラマーゾフの兄弟』は最高だ。
 もうこの記事を読み始めてしまっているあなたに謝罪しなければいけないのだが、わたしは最初から「読んで下さった人にカラマーゾフの兄弟を買わせたい」という気持ちでこれを書いている。この記事は策略です。
 だが、どうか許して頂きたい。何と言っても、ドストエフスキーオタクには、ジャンルの良さを広める機会が少ない。
「強豪校『山月記』は、教科書に掲載されるという禁じ手で文学BL界の頂きに留まっているが、われわれだって教科書にさえ載れば、毎年オンリーイベントが開かれる大手ジャンルになれるのに……!」
 これは、一部のドストエフスキーオタクが東京に集まるオフ会で実際に話されている会話の一部である。
 『カラマーゾフの兄弟』が高校の国語の教科書にさえ載ればな!
 次男イワンが三男アリョーシャからのキスを受けて「盗作だぞ!」と有頂天になって叫ぶシーン、自分が不幸の目前にいるにも関わらずふいに「イワンを愛してやってくれ!」と長男ドミトリーが叫ぶシーン、若しくは下男スメルジャコフがイワンに……などと、掲載箇所を考え出すと切りがないのだが、そうなると「この素晴らしい作品から一カ所など選べるものですか、全部載せてくださいまし」となり、結果的に上中下巻分を一挙に掲載した鈍器のような国語の教科書でもって全国の高校生の通学鞄の底を抜いてしまうしかないので、夢は夢のままである。
 「長い、暗い、難しい」と思われがちなドストエフスキー作品が、しかしどれだけ刺激的でポップに面白く、また愛に満ち、人間の暗い果てしない絶望に寄り添い、弱い立場の人間を注視し、人生に多くのものを与えてくれるかを、端的に語り尽くせるものではない。
 なので、わたしはTwitterではライトな側面を押し出し「登場人物全員、あまりにキャラが濃い」「最高に面白く、ライトノベルの走りとさえ言われている」「カラマーゾフの兄弟ラノベ風のタイトルで言うと『俺が父親殺しの犯人なんてそんなの絶対認めない』になる」「兄弟BLの嵐」「地上に出現した破滅BLの明星」「ややこしい男がややこしい男を愛して破滅していく形式美は今なお語り継がれてやまない」などの売り文句を使って、少しでもこの作品を手に取る人が増えるように草の根活動を行っている。
 また、ドストエフスキー作品にハマると全てがドストエフスキーに見えてくる病もあるため、うなされながら「進撃の巨人ドストエフスキー」「ゴールデンカムイドストエフスキー」などと発言しては、他ジャンルの人が興味を持ってくれるのを待っていることもある。

 

 

   上記は、数年前にドストエフスキーオタク内で「尾形百之助というドストエフスキー作品で肩を切って歩けそうな男が出てきた」ということで『ゴールデンカムイ』が流行したときの様子を振り返ったツイートであったが、思いがけずにRT数が伸び、ゴールデンカムイを経由してドストを読んでくれた方もいたようである。
 普段、RT数が伸びて良い思いをすることは少ないのだが、こればっかりは「ありがとうTwitter、ありがとうゴールデンカムイ……!」と天を仰いだ。
 盛り上がっていた頃を思い出すと、ドストエフスキーオタクのうち数名は、尾形本を出してオンリーイベントへ繰り出し、なぜか「ドストエフスキー欲張りセット」という謎めいたセットを売っていた。わたしは打ち上げに参加して、あんこう鍋のご相伴にも預かったのだが、しきりに「やはり作者存命ジャンルは勢いが違いますね……」と神妙に言い合われていたのが面白かった。
 わたしも『ゴールデンカムイ』は楽しく読んでいるが、ロシア編で皇帝暗殺やナロードニキ運動付近の背景を噛ませているあたり、かなりドストエフスキー作品の舞台と接近しているように思える。
(ちなみに、ドストエフスキー作品の翻訳で知られるロシア文学米川正夫氏は、『ゴールデンカムイ』本編とされる時間軸から数年後、第七師団のロシア語教師に抜擢されており、その仕事と並行してドストエフスキーを翻訳していたようです)

 ちなみに過去、ユーリオンアイスが放送され、作中に出てきたシャネルのリップクリームが特定班によって明らかになり馬鹿売れしたという噂を聞いたときには「頼むからヴィクトルの本棚にドストエフスキーの本を置いてくれ!」「ちらっと映すだけで良いから!あとは特定班がなんとかしてくれるから!!!」「同郷のよしみでお願いしますユーリオンアイスさん!!!」などと、ドスオタが揃って騒いでいた。藁にも縋るではないが、大手の人気に縋ろうとする図々しさも厭わないのが極北ジャンルの特徴である。
 ドストエフスキーのオタク(二次創作などを楽しむ層)は、多分アジアで百人くらいではないだろうか。
 そのため、ドスオタは他国のドストエフスキー同人事情にも詳しい。今年は中国で、ドストエフスキー二百年祭を記念して二次創作アンソロジーが発売されたが、これも我がことのように嬉しかった。
 数年前に日本でドストエフスキーアンソロジーカラマーゾフの犬』が出たときも(わたしも小説で参加させて頂いた)、海外ファンから通販の問い合わせがあったという。
 少人数であるがゆえに、世界を跨いでオタクの繋がりが出来るのも、古典名作文学ならではという感じである。

 

 

 大手による二次創作という旨味

 さて、自ジャンルが古典名作だと、良いことがあるだろうか。
 公式グッズが頻繁に出るでもなし(※ドスオタは版権切れの翻訳で自らグッズを自作しています)、コラボカフェがあるでもなし、ファンが多いでもなし、と福利厚生は乏しいと思われがちだ。

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写真2 著者の所持するドストグッズの全て。トートバッグとキーホルダーは版権切れ翻訳を駆使して作成された同人グッズである。(ドストエフ数寄大名さん作成のトートバッグは今冬に再版が予定されている)

【再販】ドストエフスキー『悪霊』台詞攻めトートバッグ - キリーロフの犬 - BOOTH

  グッズ展開などの部分でいえば、作者存命の連載中ジャンルなどに比べると、心許ないことは認めざるを得ない。
 だが古典には、名作ならではの『翻案』という強みが存在する。いわゆる、大手による二次創作だ。
 原作を元にして作られたドラマや舞台は数知れず、更にはコミカライズ化、別作家による「続編」の作成やパロディー作品など、翻案作品は作者が死去して百四十年が経つ今となっても尽きない。また、そのために自ジャンル仲間にアルベール・カミュがいたり黒澤明がいたりするのも素晴らしいところだ。特にカミュなどは強火のファンなため、脚本化だけに飽き足らず、作品内にドストエフスキーの台詞を引いてきたり、エッセイにおいてかなり長文のキャラ語りを盛り込んで「キリーロフくんは僕の男ですけど?」と古参アピールを表明してくるなどしていて、追いかけ出すとなかなかに楽しい。
 また近年の日本でも、フジテレビが「カラマーゾフの兄弟」を市原隼人を主演でドラマ化したり、『罪と罰』が舞台化されるなどしてきた。
 ということでここで最後に、2021年のわたしの人生にものすごい太さの杭を打ち込んできた韓国ミュージカル版『ブラザーズカラマーゾフ』の話をさせて欲しい。

 

 

 韓国の新作同人誌 ミュージカル『ブラザーズカラマーゾフ

 韓国ミュージカル版『ブラザーズカラマーゾフ』(通称:ぶかま)は、韓国の小劇場が2018年からたびたび公演している大人気舞台である。
 実は一年前くらいから、わたしも日本にいながら「何だか最近韓国のドスオタが活気づいているな……」とは薄々気付いていたのである。
 しかし、その全貌を知り、衝撃を受けたのは今年の秋頃だった。
 ざっと説明すると、『ブラザーズカラマーゾフ』は、膨大なエピソードを持つ小説『カラマーゾフの兄弟』を二時間くらいのミュージカルにまとめた作品である。
 登場人物は、父フョードルと、長男ドミトリー、次男イワン、三男アリョーシャ、下男スメルジャコフの四名だけという単略化がなされている。そして物語も、ざっくりと兄弟間の巨大感情だけに絞った脚本になっている。

 


www.youtube.com

※促進のために、ミュージカル配信メディアがまとめたハイライトを貼っておく。ハイライトの冒頭は物語の中盤、兄弟の全員に父親への殺意があったことが明らかになる喧嘩曲「戯れ言」である。記事を読んだ後、興味が沸いたら観て下さい。

 

 この、兄弟間の巨大感情に絞った脚本というのが大変だった。
 youtubeでまとめ画像を見たわたしは「!!!!?」という衝撃に襲われた。
 そこには、わたしがこれまで観たいと思っていた幻視が詰まっていたからだ。原作の全くの再現ではない。しかし、実に上手い再構成であった。更に、一見突飛に見える「古典」と「ミュージカル」という組み合わせも、「ドストエフスキーの登場人物たちは、病的に興奮し出すと一息で十ページくらい喋り続ける」という作風ならではのテンションの高さと噛み合っており、突然登場人物たちが歌い出すことに寧ろ安定感さえあった。
 ちなみに、わたしは『カラマーゾフの兄弟』ではスメイワ推しなのだが、このCPに焦点を当てた脚本に仕上がっているところも見逃せない。
「何だか最近韓国のドスオタが活気づいているな……」と呑気にしている場合ではなかった。まったく、なかったのである。
 急いでわたしは韓国のぶかまファンと思われる人たちのTwitterを遡り始めた。するとなんと、湧くようにファンアートが出てくるではないか!!!
 十九世紀ロシア文学ジャンルの人間にとって、二次創作作品とは「年にいくつかは天から頂ける恵み」である。それくらいに、数も少なければ常時書いている人間も少ない。現に、これを書いているわたし自身も(感情が大きすぎることもあって)ドストエフスキー作品の二次作品は滅多に書かない。
 それがこんな、辿れば辿るほど出てくるなんて……!!!
 日本だとあまり人気が無いスメルジャコフのファンアートの数が多いのも嬉しかった。ぶかまの脚本は、スメルジャコフに優しいのだ。ああ、年に数個の恵みと思っていたものが、一夜にして数知れず存在すると知ったときの眩暈の喜びが伝わるだろうか。ある夜は、ひたすらお気に入りとブックマークに作品を入れながら「もしかして、今一生分のカラマーゾフの兄弟のファンアートを摂取しているんじゃないだろうか……」と不安と動悸に苛まれたりもした。今も苛まれている。幸せな悲鳴である。
 言うまでもないが、ファンアートは漫画も小説もすべてハングルで書かれている。
 人生何が起こるか分からないと言うのは本当だ。よもや、自ジャンル(十九世紀ロシア文学)の二次創作を読むために、韓国語を勉強する日が来ようとは。
 わたし自身、もともと韓国映画が大好きで、周囲の友人たちが作品にハマっては韓国語習得に精を出し始めるのを横目で見ながら、「いつかはわたしも運命の韓国映画に出会って……」と思ってはいたのだ。だがまさか、ロシアと韓国がシベリア鉄道で繋がってしまうとは思ってもいなかった(※概念上での話です、もちろん)ああ、イワン・フョードロヴィチ・カラマーゾフがパソコンで論文を書きながら大学院に通ったり気怠そうにスマフォを扱ったりする現代パロディー小説を読むのに韓国語が必要なんです本当なんです!!!
 ということで、ぶかま公演自体が韓国語でなされていることと、素晴らしい二次創作を楽しむために現在、わたしは韓国語を習得中である。単語がとにかく覚えられなくて毎日苦労の連続だが、それでも曲の一節が聞き取れるようになったり、二次創作漫画の簡単な台詞が辞書なしで読めたりすると途方もなく嬉しい気持ちになる。

 

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写真3 韓国から取り寄せたぶかまサントラ。マジで生きているといいことがある。

 

 『ブラザーズカラマーゾフ』は全ての役にトリプルキャストを起用していて、様々な組み合わせで公演されている。加えて今年は、ドストエフスキー生誕二百年を記念して、三組の組み合わせで4Kカメラ十台による撮影が行われた。
 一つ目の組が今年の夏に配信が行われて話題を攫ったのであるが、遂に、残りの二つが今月12月と来月1月に渡ってNAVERでの配信が決定した
 日本にいながら、韓国ミュージカル版ミュージカル『ブラザーズカラマーゾフ』が観られるチャンスである。しかも値段は、一公演で2000円と来ている。
 今後の予定が分からないにも関わらず、わたしは友人たちの手を借りつつ必死にNAVER登録を済ませ、とにかく四回あるすべての公演のチケットを買った。仕事の予定が不安定ではあるが、もはや観られる観たれないの問題ではなかった。機会と作品存在に対する祝福であり、感謝である。
 なお最初の配信が12月6日にあったが、本当に最高に良かったので、興味がある方は是非、この舞台を観てみて欲しい。原作未読でも全く問題がない舞台です。(NAVER登録の方法、字幕なし放送に伴う翻訳の紹介については有志の『ぶかま互助会』が存在するので、気になった方はわたし宛にお気軽にDMをください)

※ちなみに当記事が更新される12月20日にも配信があって、わたしの心は千々に乱れています。お祈り下さい。(1月配信は3日と10日です)

 

 

 約束された勝利のドストエフスキーオタク

 はとさんから「文字制限はないよ」と言われたとしても、流石に長すぎると読む人が疲れてしまうので、そろそろまとめに入ろうと思う。
 つい先日、昨年発売された杉里直人翻訳による『詳注版カラマーゾフの兄弟』を読み終わったのだが、既に何度も通読している物語にも関わらず、本当に面白く読めた。ちなみにこの翻訳は、日本においてこれまでにないほど現代的に読みやすい文章、更に原文に忠実に訳された素晴らしいもので、かつ詳細な注釈が別冊で付いているというマニア涎垂ものの一冊である。

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写真4 父親殺害時の凶器とも噂された鈍器本 水声社『詳注版 カラマーゾフの兄弟』なお、うちの業界では新訳が発売されると「新刊が出た」と祭りになり、持っている作品でも大抵買ってしまう。

 

 なぜ同じ小説を何度も読むのか。
 正直なところ「おもしろいから」としか言いようがないのだが、『カラマーゾフの兄弟』は本当に、どんなにたびたび読んでも「今回の読書が一番面白かった」と思わせてくれる喜びがある。
 ドストエフスキー作品には、さまざまな仕掛けやメッセージが仕掛けられていて、読む度に新しい発見がある。自分の人生の経験により、読むたびに受け取れるものが増えていくような喜びがあり、更には新たな発見によって、今まで読んできたと思っていた物語が、全く姿を変えて立ち上がることさえある。
 わたしはドストエフスキーの作品、とりわけ『カラマーゾフの兄弟』が大好きだ。作品に触れるたびに、深い喜びを感じる。
 そして今年は、それを多くの人たちと分け合うことが出来た一年だった。
 オタクにとって、これほどの歓びはない。まさに「私の望みの歓びよ」を深く感じた一年であったことは、言うまでもないだろう。通勤の最中、幸福を噛みしめながら「なんとかして、来年も生誕二百年ということにならないだろうか」と頭を悩ませたほどである。
 古典名作がジャンルだと、思いがけない栄光に出くわすことがあるものだ。
 そのため、「ドストエフスキーのオタク?」と見知らぬ人に半笑いで言われることも結構で、何なら面白がってもらえること自体が興味を持ってもらえるチャンスだと信じている。そしてわたしたちは熱い心臓を抱き、天高く右手を突き上げて言うだろう。

 我々は、約束された勝利のドストエフスキーオタクである、と。

 

 

 以上のとおり、極北に生きるドストエフスキーオタクにとって今年は至福の一年であった。
 日々社会を憂い、自分や他者の人生を憂い、怒ったり泣いたりすることも尽きないのだが、本当に「生きていると良いことがある」と実感した一年でもあった。ありがとうドストエフスキー、ありがとう生誕二百年祭、ありがとうブラザーズカラマーゾフ、ありがとうドストエフスキーオタクの人々とそれを見守って下さる人々、わたしは罪深い人間ですが、みんながそれを許してくれますからね!
 不幸も苦痛もたくさんあるけれど、それはそれとしてやはり人生全体としては祝福したい、とアリョーシャの台詞をもとに願いを込めつつ、この記事を締めたいと思う。長文を読んでくださり、有り難うございました。

 

 こういう記事の最後にしれっと自社の商品を貼り付けて誘導するようなブログ商法を軽蔑していたのですが、今後はもう少し優しい目を向けていこうと思います。ああ、『カラマーゾフの兄弟』は最高なんです。再び謝罪しなければいけないのですが、あなたは今日ここに至るまでにドストエフスキーの話を既に一万字くらい読まされています、すみません。もうこの記事が読めたのなら、『カラマーゾフの兄弟』も読めるはずと断言してもいいのではないでしょうか! なお、ロシア人名表などもドストエフスキーオタクが作成頒布しておりますので、気になった方は「カラマーゾフ 人名」でTwitter内検索してみるか、お近くのドストエフスキーオタクまでご連絡ください。

 今度こそ本当にお仕舞いです。

 

 明日のぽっぽアドベント2021担当は、雨漉天才 さん「ゆっくりオタクに戻るはなし」です。わたしもオタクなので、とても楽しみにしている記事です。どうぞよろしくお願いします!