彗星のてんぷら

あげたての星からはイマージュの匂いがする

初夏の渡韓日記(二日目)

 さあ、渡韓二日目。今日はついに待ちに待った『ブラザーズカラマーゾフ』の初観劇日である。たっぷりと睡眠を取り、当然目覚めは最高~と言いたいところであったが、起きた瞬間から過度の緊張感が全身を走っており、なんとなく尋常でなかった。なんだか感覚が浮世離れし、自分がどこにいるのか胡乱である。目覚めから「今日のわたしは多分一日中ぽんこつだな……」と確信せざるを得ない離人感すらあった。

 大学路のミュージカルは、平日でも午後八時くらいから演目があり、仕事帰りに映画のように楽しむことができる。しかし、今日は平日にも関わらず我らがぶかまにおいては昼公演もあり、一日に二回も観られる。当然両方のチケットを押さえたのだが、午前中は国立現代美術館に行く予定であった。わたしは現代美術が好きである。ということで、取りあえず支度を始める。昨日買った化粧品も早速封を開けて使ってみる。めちゃくちゃ可愛い色~~!!!などと昨日の喜びを再び手に取り、途中までは順調に身支度を進めていたのだが、次第に暗雲がこころに立ちこめ始める。「わたしったらまた……また性懲りもなく資本主義に加担してしまった……!!!!」(突然の鬱)

 わたしはこの世の諸悪の大きな部分に資本主義があると思い嫌悪しているが、反面買い物が好きだしブランドものも好きである。この言いようもない板挟みに日々苦しんでいるのだが、未だに均衡を取れないでいるし、落ち着けるところを見いだせる気配も無い。みなさんは一体どうしてるんだ……資本主義を嫌悪するアズール・アーシェングロ推し推しの人間は一体どうやって生活してるんですか?

 ということで己の人間としての芯の通らなさと罪深さに打たれ、朝っぱらから一人で凄まじいテンションのHIGE&LOWに翻弄されながら身支度を終わらせた。しかしこの時点でいつもに増して現実認識を的確に行い自分のあたまの舵を取る能力が失われていることが明らかだったので、午前中の予定を変更する。今この状態で、異国の知らんところに行って、決められた時間に決められた場所に戻ってくる能力が自分にあるとは思えない。今思い出しても賢明な判断である。人間、三十も半ばになってくると自分のことがそれなりに分かってくるのだろう。ということで、昼前に大学路に直行する計画に変更し、後半に差し掛かりつつあるぶかまの翻訳をホテルで進めた。

 

~大学路編~

 さて、二度目の大学路である。大学路は学生と芸術の街。それに伴い、お洒落なカフェや飲食店、ショップなども多い活気あって(それでいて繁華街とも違う感じがある)とても好きな場所だ。友人から、劇場近くに素敵な焼き菓子屋さんがあると聞いていたので、そちらに向かう。

 劇場から程近くにあるこちらのお店、すごく可愛くて美味しい焼き菓子屋さんだった。昨日の食事が重くのしかかり、朝食は抜いたのだが、そのぶん美味しく食べられた。あと韓国はアイスコーヒーといえばアメリカーノなのだが、あっさりしてて飲みやすく、とても良かった。ちいさなお店で、横には若い女性二人組のお客さんが座っていて楽しそうに話し込んでいる。どれくらい会話が聞き取れるのかと思って、ちょっと耳をそばだててみたが、なんせスピードが鬼のように速い。関西人のわたしでもついて行けない早口なので、時折入る「やば、めちゃウケる~」「それウケるんだけど?」という合いの手などを聞き取るのが精一杯で話の内容まではしっかり分からなかった。やっぱりリスニングな~~~~~(溜息)と思いながら、美味しい焼き菓子を食べ、ぶかまの翻訳を進めた(常に持ち歩くオタク)  

「一生覚えていよう……」と思って撮影したyes24の劇場。入るとすごいお香の匂いがすると渡韓した周囲のオタク達の間で話題になった。

 開演三十分前になり、遂に行くか……と劇場に向かう。緊張感でもう何が何だか分からない。身も世も無いってこういう状態のことを言うんだろうなと思いながら、NAVERアプリで無事に劇場に着く(ちなみにカフェに行く前にちゃんと一度場所を確かめておいた)。しかし、到着してみると、何故か劇場が閉まっている。居るはずの他のお客さんの姿も全く見えない。「どうもおかしい……でも大抵こういう場合、おかしいのはわたしの方なんだよな……(経験)」と思いながら確認してみると、なんと二時からと思っていた昼公演は四時からであった。夕方からやないか!!!!

 またしても自分から煮え湯を飲まされてしまった……と思いつつも、公演に遅れたわけではなく、まして一人旅なので傷は浅い。「自由時間が増えちゃったな~!!」という気持ちで前向きに大学路観光を楽しむことにする。大学路といえば梨花洞壁画村が有名で、たびたびドラマや映画の撮影にも使われている。まだ行ったことがない壁画村に行ってみてもいいなあと思いながらも、今回はマロニエ公園にあるアルコ美術館に行くことにする。現代美術が展示してある美術館なのだが、非常にゆったりした展示方法で作品数もそんなに多くない。うつくしく、また独創的で面白い作品をじっくり楽しむことが出来てめちゃくちゃ堪能した。そしてなんと無料であった。今後、大学路をミュージカル観劇で訪れるひとは、マロニエ公園と併せて是非遊びに行ってほしい。

 ファンシー雑貨屋さんや服屋さんも多くて、いろいろ眺めて回る。最近、新しい韓国語塾に行き始めたのだが、めちゃくちゃ喉が渇くので水筒が欲しいな……と思っていたところ、可愛いのを見つけたので目星を付けておいた。これは実際に買ったもので、16000ウォンくらいだったと思う。こういうカラーを見るとすごく「韓国っぽい」と感じます。この人間、朝に懺悔までしたのにまた買い物を……。

 そうこうしているうちに、『ブラザーズカラマーゾフ』の開演が近づいてきたので劇場へ。年末に渡韓したのは、いずれ来るだろうぶかま再演時の予習を兼ねてだったのだが、まさかこんなに早く本番が来るとは……と思いつつ、窓口で公演チケットを引き換えて貰う。日本のパソコン画面越しに『ブラザーズカラマーゾフ』に衝突し、わけもわからない病的な興奮にたたき落とされてから一年半あまり。遂に目の前で生のミュージカル観劇を果たす緊張感と共に、今日に至るまでの日々が思い起こされる。ぶかまを理解したく、ついでにその二次創作やオタクの感想を理解したくて始めた韓国語は、渡韓前に計算してみたら一年半でおよそ六百時間から六百五十時間くらいは勉強していた。いまだによわよわ韓国語しか身に付けられていないものの、ぶかま衝撃時にはハングルなんて一文字も読めなかったわけで、「人間にはいろんな可能性があるんだな……」という気持ちにさせられる。

 ちなみに、韓国版ミュージカルは一つの演目につき三ヶ月くらい公演したりするのだが、客足を長く伸ばすために色々工夫を凝らしたりしている。わたしが行った期間は、偶然にもチケットと一緒に劇中場面のトレーディングカードが貰える期間であった。そして謎に付いていたわたしは、キム・ジェボムさん演じるイワン・フョードロヴィチの美麗なトレーディングカードを手に入れることが出来た。わたしのオタクジャンルはドストエフスキーであり、とりわけ中でも『カラマーゾフの兄弟』を偏愛している。つまり十九世紀ロシア文学ジャンルの人間でもあるわけなのだが、このトレーディングを見た瞬間「二十一世紀にはこんなものが貰えるんだ……」としみじみと感動してしまった。『カラマーゾフの兄弟』発表から約百五十年、イワン・フョードロヴィチ推しの人間はたぶん世界中に過去も今もめちゃくちゃいた(いる)と思うのだが、「いまわたしは二十一世紀の韓国でこんなトレーディングカードを貰いましてよ~~!!!」と百五十年間の間に存在したであろう世界各国のイワン推しの人々にめちゃくちゃ自慢しました。自慢の規模がでかい。

kakari01.hatenablog.com

 公演の感想は別記事にまとめてあるので、気になる方はそちらをどうぞ。

 さて公演後、当然ふらふらになりながら劇場を出たわたしを迎えてくださったのは、韓ミュ友人のイ・ランさんである。前回の渡韓でたいへんお世話になったのだが、今回も渡韓のタイミングに合わせて一緒に遊んで頂くことになった。昼公演が終わったあとにお会いする約束になっており、「初ぶかま観劇を終えて、めちゃくちゃになっているオタクを是非ご覧下さい~」などとのたまっていたのだが、言葉どおりめちゃくちゃになっているわたしを優しく迎えていろいろ話を聞いてくださった。

すごくお洒落で美味しい焼き肉やさんだった。こんなスタイルもあるんだ……!と感動。

 「何か食べたいものありますか?」と事前に聞いて下さったイ・ランさんに「サムギョプサルが食べたいです!!」と元気に返していたのですが、めちゃくちゃお洒落なお店を予約してくださっていた。観劇前ですし、服に匂いが付くのもあれかなと思って今回は事前に焼いて出てくるタイプのお店にしてみました、と素晴らしい心遣いを頂いて上のお店に連れて行ってもらったのですが、めちゃくちゃ美味しかったです。わたしが良く知るサンチュではなく、業者ニンニクの葉を付け込んだもの(写真一番左)に巻いて食べるのも良くて、これがとびきり美味しかった。韓国で生でぶかまを見て、友達とその直後に感想などを話しながら食べるサムギョプサル、そんなのさいこうに決まってるじゃないですか!! テンジャンチゲも凄く美味しくて、お腹いっぱいになりました。そしてこのとき、イ・ランさんから「以前はジェヨンさんのイワンのカードしかお渡ししてなかったので……」とぶかま2021公開時の入場特典のトレーディングカードの束を頂いてしまったので、輪を掛けてこころがめちゃくちゃになった。韓国にはカラマーゾフの兄弟トレーディングカードが何枚あるんですか!!? 汚さないように拝見して、大切にしまいました。あまりに美……副葬品が増える……(あの世にまで持って行こうとするオタク)

 昼の劇場があまりに寒かったので、劇場近くの服屋で急遽ジャケットを買うことにする。38000ウォンくらいだったかな? 七分袖のジャケットでメンズライクな格好良いデザインが気に入っている。生地もざりっと夏物っぽくて、帰国してからもよく着ています。今回の渡韓では購入した洋服はこれ一着だったと思う。たぶん。

 夜公演はアリョーシャだけ入れ替えたキャスト。2021年版でもイワンを演じたジェボムさんは大人気で、この回は本当にいい席を確保するのが大変だった。感想記事にも書きましたが、この公演回は役者さんが二人で作り上げたと思しき、わたしの推しCPスメイワが死んだお父さんの棺の上でいちゃいちゃするシーンがあって(語弊)観劇後、本当にもうだめになってしまいました。こんなの……こんなの原作にもぶかまの脚本にもAO3にもpixivにもポスタイプ(韓国のpixiv)にもFOFTER(中国のpixiv)にもないよ……!!!!(泣いた)(脚本にすらないものを見せられるオタクの心境お察しください)

 観劇後は、イ・ランさんの案内で二人で修道院バーに足を運んだ。『修道院』という名前のとおり、修道院と酒をコンセプトにしたお洒落なバーである。ちなみに店内が殆ど暗闇に近く、蝋燭の明かりを頼りに酒を飲み話を交わす……という、何だかただならぬ雰囲気の店でもある。

 Twitterでも紹介したが、ここではカルメル修道院で作られていたという300年前のレシピを再現したベルギービールを飲むことが出来る。いちじくのパンを肴に、イ・ランさんと共にお互いに今見てきたものに付いて確認し合うように色々話し合った。めちゃくちゃ楽しかったのは、言うまでもない。韓国ミュージカルは一役にキャストが三人いるのも珍しくなく、また同キャストでも公演毎に演技や解釈を変えてきたりするので、映画のように感想を分け合うのは少し難しい。「だからつい「わたしのときはこうだった」「わたしのときはこうだった」みたいになるんですよね~」というイ・ランさんの言葉にさもありなんという気持ちになりつつ(当然それも楽しいのだが)、こうして衝撃の一回をいろいろお話しできるなんて、素晴らしく幸福だな……と思ったりしていた。

 とてもお世話になったイ・ランさんと別れて、ホテルに戻る。そして、風呂に入った後、ホテル横で買ったジュースを飲みつつ、日本から持ってきたポメラに猛然と今日見てきた二公演の内容を書き綴るオタクと化す。語学を始めたわたしは、初めて「忘却曲線」と言うものを知った。明日にはまた新しい公演が重ねられるし、だんだん記憶は混じり、薄れていくだろう。なるべく鮮明なうちに……残して!!!未来のわたしのために!!! と死に物狂いで書いていったが、途中で病的な興奮に襲われて部屋を歩き回ったりしたので午前三時くらいまでかかった。

 寝る前にTwitterを見ると、韓国のオタクが「イワンとスメルジャコフが抱き合っていた」「頭を撫でていたんだけど?」「みんな大丈夫?」とうわごとのように呟いていて、わたしは「夢じゃなかった……」「生きてると良いことがある……」と思いながら就寝した。

 生きていると良いことがある!!!(三日目に続く)