彗星のてんぷら

あげたての星からはイマージュの匂いがする

椅子とせいかつ

 

 この記事は、はとさん(@810ibara )主催の #ぽっぽアドベント 変わった/変わらなかったこと3 Advent Calendar 2020 - Adventar)の6日目の担当記事にリンクしています。

 書いているのは、通りすがりの人文学の顔ファン、かかり真魚です。

 はとさんのアドベント企画、今年のお題は『変わった/変わらなかったこと』です。

 1日に3つも記事が更新されるので、わたし自身すごく楽しんでいます。

 滑り込みの6日目、ご容赦下さい。

 

 

 

 

 

 

 

 さあ、あしたもまた長い、いい日でしょうよ。
 しかも、はじめからおわりまで、お前のものなのよ。
 とても楽しいことじゃない!
                  『ムーミンパパ海へ行く』トーベ・ヤンソン


 2020年、変わらなかったことを挙げるほうが難しいような変動に見舞われた一年であったのは言うべくもない。
 COVID-19に関するニュースは年明けから世界で散見されるようになり、気付いた頃には渦中の真っ只中だった。
 私事としても、職業柄到底ないと思っていたリモート出勤も何度か体験することとなり「現場に身体がないのにどうやって働けば……?」と部屋の中で途方に暮れた思い出がある。友人との会合、イベント、映画、ライブ、とライフワークを形作っていた悉くが自主規制というかたちを取って奪われ、そして今のところ還ってきていない。
 感染症流行から一年を迎えようとしている今、脅威は収まるどころか増すばかりで、更にそれが対策の不作為としか捉えられない経緯から起こっていることを思えば、なおさら怒りと身悶えに襲われる。
 個人が生命や生活を脅かされた一年だった。一年、と区切ってはみたが、今後この状況がどれほど続くのか分からない。ワクチンが完成し、病原菌の感染拡大が収まったところで、元の生活が戻ってくるとは限らない。

 ところで、わたしがこれから書くのは生活の話だ。
 しかもこの時勢において、「生活を手に入れた話」である。
 世界的に生活の逼迫が言われる最中、わたしは人生で初めて「生活」というものを手に入れ、現在のところ、その観察や成長に心を傾けている。
 前置きが長い。引っ越しをしたことを書こうと思っている。

 

 

 

 とにかく学生の頃から忙しかった。
 というのも、やらなければならない事柄と出来る事柄とやりたい事柄がことごとく乖離していたからで、学業をこなしつつ、運動部に打ち込みつつ、その実一番やりたいのはオタク事、つまり本を読んだり映画を観たり小説を書いたりすることだったので、本当に時間が足らなかった。
 これでタスク処理が上手ければ、まだ何とかなっただろう。しかしわたしは注意欠損的な人間であり、またマルチ・タスク処理を大いに苦手とする。結果、日々あくせくと動き、四方八方に転がり回りながら生きる羽目になった。右手であんパンを食べながら左手でフレンチ・コースを口に押し込み、横目で簡易コンロを見ながら即席ラーメンを作っているような毎日、といえばそのトッチラカリと落ち着きのなさが理解して貰えるだろうか。
 今振り返ってみても、本当に落ち着きのない毎日だった。優先順位をもう少し付けていたら……と目を細める気持ちにはなるが、恐ろしいことに、優先順位を付けるという能力をわたしは未だに習得出来ていない。
 競技者一人(わたしだ)による異種運動会を二十四時間やっている人間にとって、生活とは何だろうか。わたしは正直、消しゴムのカスだと思っていた。衣食住に対して、これまで一切の関心がなかった。無論、それは実家暮らしにあぐらを掻いていたからこそ出来た話でもある。そしてあぐらを掻いていたからこそ、それらに対する慈しみも愛情が微塵もなかった。
 この文章を読んでいて、じんわりとわたしの「人任せ感」は勿論のこと、クズの如き性根が伝われば良いと思うのだが、どうであろう。恥ずかしいことであるが、黙っても出てくる食事、放っておけば洗われる洗濯物、そういうものをかなり最近まで何の疑問も無く享受して来た。
 言うまでもないが、生活に対して消しカス程度の関心しかなかったわたしの自室はゴミ箱同然だったし、ベットで寝ているのか本を敷き詰めた箱で寝ているのか不明だったし、いつも寝不足でふらふら、飲食にもあまり感心がなかった。(ただ見栄を張るタイプなので、おしゃれ着だけは好きだったことを付け加えておく。)
 こうした一人運動会の開催は、学業を修めて就職し、働くようになってからも変わらなかった。
 「生活」をしている暇がなかった。常に何かに追い立てられ、せいぜい死なないように栄養を取って、死なないように眠るのがわたしの生活の残骸だった。大学時代の友人はそんなわたしを「ちょっと強迫的なんじゃない……」と指摘していたが、仰るとおりだったと思う。
 そんな人間である。
 元来の心の狭さもあって、立ち寄った本屋に並んだ雑誌に書かれた「丁寧な生活」という見出しを見るたびに、失笑の思いがした。
 自分にはまったく関係がない事柄に思えたのだ。
 そんなものは、暇とお金がある人間がすることだ。
 そもそも、「人間に向いている人間」がすることでしょう。
 生活をきちんとするだなんて、こちとら生きているだけで必死なのに。
 そう思いながら生きてきた。
 幼い頃から、トーベ・ヤンソン著作『ムーミン』に描かれるムーミン谷のゆったりした生活には憧れを持っていたが、あれは舞台がフィンランドで、なお物語の世界だからだと言い聞かせた。
 だって、自分が自分であり続け、なお自分の好きなことをして、生活を大切にできるなんて、夢のような話だと思いませんか。

 

 

 実家を出る転機は、仕事の休憩時間に後輩と話をしたことだった。
 引っ越しやインテリアが趣味、というその後輩から話を聞いているうちに何となく気分が乗り始め、結局その一ヶ月後には県外のマンションに転移先を見つけて一人暮らしを始めた。
 渋っていた割に決め出すと早いのはオタクの性だろうか。否、オタクのせいにしてはいけない、個人の問題です。余談として、契約日が近づくに従って俄然うきうきした気持ちが抑えきれなくなり、頼んでいた寝具や家具が届く一週間前から部屋に入ってしまったのだが、今後初めて一人暮らしを始める人々にひとつ伝えることがあるとすれば、寝具だけは揃えてから引っ越しすることをおすすめします。
 さて、これまで仕事や原稿が忙しくなると、まず生活を犠牲にしてきたわたしである。一人暮らしを始めたところで、一体どうなることかと自分でも思っていたが――、これが驚くほどに適応した。
 身の回りのことを自由に世話する達成感や、あらゆる選択を自分で選べるという歓びをわたしは今年になって初めて知ったのだ。「これが生活というものかしら」という驚きや発見を、わたしは未だにし続けている。
 引っ越しにあたり、あらゆるものを己で決めて揃えた。部屋を決めたのも自分であるし、家財道具一式、洗剤や消耗品のひとつに至るまで好きに選んだ。広くはないが立地がよく、近くに小さな公園もあるマンションの部屋は素敵だし、派手さと落ち着きが同居する愛らしくも大人らしいラグを中心に、シックな灰色のソファ、ガラスのテーブルなど家具類はどれも気に入っているし、良い匂いのする柔軟剤や猫のかたちの食器洗い用スポンジなども、限りなくイカす品物だ。こういう「好きに出来る」自由さと「わたしのお気に入りたち」に囲まれて暮らす歓びが巧を成したらしい。わたしは手探りで家事を熟し、そしてお気に入りたちと暮らすことをじわじわ学んでいった。
 今では、仕事の日も出来うる限り自炊に努めている。更に、洗濯も週二回以上は回すようにし、部屋の掃除だって週一回は床磨きを含めて必ずしている。マメな人からすれば「その程度」かもしれないが、自分としてはあり得ないほどの進歩である。水道水をがぶ飲みするのではなく、麦茶を沸かすようになった。ベットのシーツを頻繁に変えるようになった。手触りのいいタオルを買った。玄関マットを洗うことを覚えた。きれいな食器を集めるようになった。可愛い下着で衣装ケースを埋めた。季節折々の花たちを部屋に飾る楽しみを覚えた。
 それまで全く関心がなく、軽蔑し、蔑ろにしていた生活の楽しさったらない。
 嗚呼、片付いた部屋の電気を消して、座り心地のいいソファーでぬるくなっていくビールを握りしめながら観る血みどろの韓国映画の素晴らしたるや。わたししか居ない夕餉である、映画『はちどり』を観た日の夕飯を急遽チヂミに変更することだって可能だ。毎日の紅茶を、シベリア鉄道で給仕されていると噂の(本当かしらん)ロシア茶葉に変更することも出来る。それを気に入った焼き物のコップに淹れて、本を開くことのいかほどの楽しさか。そして、それらの生活の合間に挟まれる家事は、自分の好きな空間を維持するための心地の良い労働や楽しみになった。
 わたしにとって、一人暮らしは人生に付いてまわる「雑務」を「生活」へと変化させてくれた。それはどちらかといえば、わたしが好んできた血が沸くようなスリリングさや三日三晩眠れなくなるような病的な興奮とは遠いところにあるものだ。ただ、それらにはぼんやりとした居心地の良さがあり、この「ぼんやりとした居心地の良さ」がとてつもなく良い。自分の輪郭を、何度だってわたしに与えてくれる。

 


 今年になって、「セルフケア」という言葉を知った。説明するまでもないが、セルフケアとは一般的に自分を自分でケアする行為を指す。社会情勢的に「自救」とも重なってくる言葉なので無闇に使うことは躊躇われるが、しかしそれ自体は非常に大切なことだろう。
 セルフケアは、自己肯定感を増す働きもあるという。それを知ったとき、なるほど、わたしがこんなにも一人暮らしに順応したのは、図らずともセルフケアに癒やされていたからなのか、と思った。
 冒頭でも述べたが、元来、人間として欠損の目立つタイプである。そんな自分が生活を楽しもうなどおこがましく、そもそも左様なマメさなどあるはずもない、とこれまでどこかで己を強く卑下していた。
 「部屋に招いた可愛らしい雑貨のすべてを一瞬にしてゴミに変えてしまう魔法使い」だと自分のことを、ずっとずっと、本当にずっと思っていた。その呪縛から解かれた一年だったと思う。
 ムーミン谷の住人たちが、なぜあんなにも伸び伸びと自由を楽しみ、自分であることを受け入れているのか、分かった気持ちがした。
 彼らのゆっくりしつつも、自恃と冒険心にあふれた逞しい佇まいは、あの素敵な生活と切っては切り離せないものなのだろう。彼らはいつだって歌を歌ったり、踊ったり、紅茶を飲んだりジャムを舐めたりハーモニカを吹いたりしているが、そういう生活の拠り所が、彼らの心のはばたきを支えているのだと思うのだ。


 

 なんだってできるわ。だけど、なにもやらないでいましょ。

 ああ、なんだってできるって、なんてステキなことなの!
             トーベ・ヤンソンムーミン谷の十一月』

 

 これはムーミンシリーズに登場する、かなりイカした女、ミムラの言葉だ。ミムラはミーの姉である。長い髪を靡かせてダンスをするのが得意。そして思い切りがよくて自由で、なにより自分が自分であることを謳歌している女である。
 あれもこれも、とコンテンツや趣味や仕事に気を取られ、原稿をしていないだけで何にもしていないかのような幻想と焦燥感に襲われ、強迫観念に駆られているときに、このミムラの思い出すようにしている。
 そうだ、わたしは何だって出来る。
 でも、別に「なんにもやらない」でいることも出来るんだ。
 それを含めて、わたしは自由で、素晴らしさを手にしている。
 ミムラの言葉を胸に留め置くようになってから、休日にダラダラ過ごしてしまったときなどの罪悪感も格段に減った。わたしには、何にもやらないでいるという選択肢もあるんだ、と思ってからは、無闇にあくせくするのをやめた。「あれもこれも……」と予定を立てていても、強迫的になっていると思えば、それらを白紙に戻して部屋で紅茶を飲んでぼうっとして過ごすこともある。そういうとき、通販で買った青色の美しい紅茶カップが可愛いと、無性にうれしい。どこにでもトクベツはあって、それは矛盾するが、トクベツでなくてもいい。
 自分を大切に出来る「生活」があることは、自分が自分として立ち戻れる、そこに座ってゆっくりとお茶を飲むことが出来る「素晴らしい椅子」があることなんだなと、思った。

 引っ越しをし、一人暮らしを初めたことで、自分の中で時間の流れ方が少し変わった。そして、生活をするなかで「なるほど、この人生はわたしのものなんだな」と不意に思うことが何度もあった。
 そういう瞬間の積み重ねが、わたしをとても励ましてくれる。
 これらの変化がなければ、「やりたいことも出来ない」今年一年は自分にとって、もっと強い苦痛に満ちていただろう。
 些細なことかもしれないが、わたしにとっては素晴らしい変容だ。

 

 

 

 以上です。

 明日7日目の担当は、ヤマワヌさん、草太郎さん、ロッタさんです。

 よろしくお願いします~!!!!