彗星のてんぷら

あげたての星からはイマージュの匂いがする

代々(短編小説)

 本番に弱いんだ。ここぞ、というときに必ずハズす。不運、と言ってしまえばそれまでだけど、運にしては確立が高すぎる。よく「そういう星の元に生まれた」って言うでしょ。ああいうの、見苦しい言い訳と思う人もいるだろうけど、私には分かるな。自分の頭上にもきっと、そういう星がぴかぴかしているんだって腑に落ちるから。もしそうでなければ、私が生まれたときにパーティーに呼ばれなかった悪い魔女が怒り狂って、ふにゃふにゃの赤ちゃんだった私に呪いを掛けたとしか思えない。私は幼稚園以来、遠足の前日に熱を出さなかったことがない。運動会ではリレーの最中に靴底が外れるし、センター試験の会場に向かっていた電車はトラブルで遅れちゃうし、希望していた企業の最終面接の通知は郵便事故で届かなかったし、海外旅行の前日には台風で空港の連絡橋が流された。最近だと、他企業と合同で進めていた大切なプレゼン中に予定日でもないのに生理が始まっちゃって、しかも信じられないくらい血がドバドバでて、スーツを汚したとかね。こういうことがたくさん起きる。一つ一つは大事じゃなくても、当事者としてはいろいろと最悪なわけ。でね、悲しいことに段々と慣れて来るんだよ。何かが起こったときに、またか、と思うの。驚きや怒りや哀しみの前に、嗚呼また、っていう諦観が最初にやって来る。だから余計にトラブルに適切な処置が出来ないって言うかさ、初動が遅れるんだよね。
 彼女は一息に話すと、僕が淹れたアッサム・ミルクティーを口に運んだ。ティーカップを傾けるときに、オリーブ色のニットから覗いた痩せぎすの腕に、細い桜色のリストバンドとシルバーの腕時計が巻かれているのが見えた。時計は飾り気がないユニセックスなデザインをしている。彼女の短く刈り込んだ黒髪はボーイッシュを通り越しているように思えたが、骨っぽい骨格と切れ長の一重によく似合っていた。
 彼女は僕の淹れた紅茶を褒めた。以前、喫茶店でバイトしていたことを話すと、ふうん、と興味があるともないとも取れる微妙なトーンで返される。折角だからクッキー食べよう、空港で貰ったやつ、と彼女は言うと手元に置いていた真空パックの袋を破った。パッケージはベージュのシックなデザインで、MCPの企画ロゴと政府ロゴがさり気なく入っている。桜のマークをかたどった政府ロゴの一部は箔押しになっていて洒落ていた。先程までいたステーションの受付で、当選者にお茶請けとして持たされた菓子だった。
 僕は既にステーションで食べてしまっていた。彼女に勧められて一つ摘まむと、僕が貰ったものとは違う味だった。パッケージには「フルーツ味」と書かれている。三十年前に畜産業が潰え、次いで他の一次食物生産も破綻して以来、このような大味の表記が主流になったらしい。とはいえ、僕が生まれた頃には既に定着していたものだ。配給スナックのサラダ味、パテのピザ味、ドリンクのチーズ味などはとても美味しいと思う。祖母は未だに昔を懐かしんで配給食を嫌うが、どの家庭でも毎食素材から食事を作るだなんて、非効率な労働だ。その点、配給食は自宅の製造機から勝手に出てくるうえに、栄養バランスが適切で腹持ちもいい。
 僕たちはしばらく、クッキーを食べることに熱中した。僕も彼女も、お腹を空かせていた。搭乗手続きに時間が掛かったのだ。
 僕は甘い固形物体に口中の水分を吸わせながら、カプセルウィンドウから見える宇宙を眺める。国営テレビで何度も目にした無数の惑星の放つ繊細な光で満ちた宇宙空間はそこにはなく、ただ途方もなく深い暗さが横たわっている。別のセクトに移ればまた変わるのかも知れないが、いまのところは美しさなど微塵も感じられない。
 僕は紅茶のおかわりを注ぐ。二人が詰め込まれた小型ロケットにはオートセーブの小型操縦室の他に、四畳半くらいの生活スペースがついている。重力装置が作動していて、地上と変わりなく動くことが可能だ。
「だからね、このためだったんだ、と思った」
 最後のクッキーを紅茶で流し込んだ彼女は、思い出したように言った。話の続きだ。空になったクッキーの袋を丁寧に畳んで、くるりと結ぶ。
「応募していたMCPの選民当選に当たったとき、本当に信じられなかった。移住者枠はほぼ満了、残っているチケットは各国の要人の分しかない。抽選に洩れた人たちは地球と一緒にゆっくり死んでいくしかないんだって、もうみんなが長い時間をかけて受け入れて、諦めてきたことだよね。ひとつの種の繁栄は宇宙規模で見れば些細なことでしかなくて、その死滅も同等だってさ。なのに、最後の最後でこの私が当選した。ダメ元で送った一枚が、繰り上げ当選になるなんて信じられる? だから、つい思っちゃった。ああ、私がこれまで不運だったのは、このための運を貯金してきたからなんだって。そういう理解が、すうっと自分の中に降りて来た。馬鹿みたいに聞こえるかも知れないけど、救われたとさえ感じたよ。これまで私の人生の足を引っ張ってきた不運にも、理由があったと思えたんだ。本当に」
 彼女は言うと、薄く笑った。その顔は左右が非対称で、泣いているようにも見える。僕は手首のリストバンドに刻印された文字に目を落とす。
 彼女は両手を擦り合わせると、指についた粉を払った。言葉を続ける。
「最後に応募してみよう、って言い出したのは妹だった。おねえちゃん、まだ応募権残っているんでしょう。もう散々不合格通知が出された後だから、残り福があるかも、出してみなきゃ分からないよって。もちろん、私は当たるわけない、って断った。だって、私だよ? 私は地球で生活していても、楽しいことなんてなかったし、幸福でもなかった。だから、生き延びること自体に消極的だった。月に行くとかどうとか、正直どうでもよかった。とにかく生まれてきたことに疲れていたし、滅びるなら人類なんてどうぞ滅びれば良いと思っていた。私はあまり人類のことを好きになれなかったし――『善良な市民!』、笑っちゃうね。ついでに、MCP――「月面選民プロジェクト」とかいう非人道な足掻きに恥ずかしげなく参加して月に移住した奴等も、まとめて不適合症状でも起こして死んじゃえば良いと心から祈っていた。でもさ、そんな私でも妹のことは可愛かったんだ。二つ年下でね、看護師をしている。私は逼迫する地球で、今彼女がどんなに大変な思いをして働いているかをよく知っている。とても凄惨な状況で、だからこそ彼女が逃げないことも、また逃げられないことも、逃げるための措置を政府も誰も講じてくれないことも知っていた。だからさ、妹のためになら出せるかなって考え直したんだ。彼女を地球から連れ出してあげられるのなら、って。二週間前、桜色のリストバンドが二枚届いたとき、私は妹と抱き合って喜んだ。本当に嬉しかったんだよ」
 僕は、神妙に頷いた。
「今は、怒っていますね」
「もっと複雑。でも、許せないと思う」
「誰を?」
 その問い掛けに、彼女は答えなかった。


「そういう星の元、のそういう星って、どんな星なんだろうね」
 立ち上がった彼女は、先ほどの僕をなぞるように、カプセルウィンドウから宇宙を眺めている。楕円形に切り取られたガラス越しに覗く宇宙はやはり真っ暗で、塵や石が飛んでいるのが辛うじて見えるくらいだ。そこには夢のように美しい風景など、ありはしない。
 彼女は長いワイヤーを持っている。冷たさを思わせる銀色のワイヤーは細くなめらかで、彼女の右掌から床に向かって溢れ垂れている。発射直前のロケットに、本来なら彼女のすぐ後を追って乗ってくるべき彼女の妹に代わって乗り込んできた僕が一体誰なのかを尋ねる代わりに、先ほど荷物の中から取り出したものだ。
「碌でもない星というのだけは、確かでしょうね」
 ゆっくりと壁側へ移動しながら僕が言うと、彼女は肩をすくめた。
「碌でもなくない星というのがあるのなら、是非教えて欲しいけど」
 そこへ妹と行くから。そうしたら、あなたが今つけている妹のリストバンドはあげてもいいよ。
 彼女がそう言うので、僕は少し返事に困る。

 

 

(完)

 

お題「今年初めて桜を見た日、二人乗りの月行きのロケットの中で興味を向けられて戸惑うことについての話をしてください」