彗星のてんぷら

あげたての星からはイマージュの匂いがする

「ローレライの丘の女たち」和訳歌詞

予習として韓国ミュージカル『レッドブック』の歌詞を翻訳したものから「ローレライの丘の女たち」を投稿してみます。

十八世紀イギリス、官能小説家としての第一歩を踏み出したアンナは、女たちの文学サークル「ローレライの丘」を訪れます。

この曲はそこで歌われる挨拶曲なんですが、このミュージカルに相応しいフェミニズムと力強さが溢れていて、本当に大好きです。韓国語歌詞の下に翻訳があります。

 

『로렐라이 언덕의 여인들』

안나:
참신기한것같아요. 
저같은사람들이또있다는게... 
보통여자들이글을쓴다고하면 
다이상하게보잖아요. 


도로시:
안나,우린이상한게아니에요. 
우리는우리를위로하는방법을 
알고있는거에요. 
뭔가말을하고싶은데 
어떻게시작할지모를때 
어딘가털어놓고싶은데 
아무도들어주지않을때 
우리는우리를이종이위에담아 


함께:
우리는로렐라이언덕의여인들 
이작은펜으로커다란성을지어 
우리는로렐라이언덕의여인들 
이작은펜으로커다란성을지어 
낡아빠진관습을부수고 
바보같은규범을허물어 
다시그자리에성을지어 
그자리에새로운성을지어 
우리는로렐라이언덕의여인들 
이작은펜으로커다란성을지어 
철학으로올린지붕과 
신념으로세운기둥들 
상징으로만든계단과 
비유들로꾸민가구들 
아직은어린단어들이찾아오는성 
여물지않은문장들이자라나는성 
언젠가그들이문학이될수있게 
누군가에게위로가될수있게 
성을지어 
우리는로렐라이 


줄리아:
안녕하세요.나는영국이낳은가장위대한작가 
제인오스틴의광팬줄리아에요. 
오만과편견뒷이야기가너무궁금하다못해 
내가직접썼어요. 
잘부탁해요. 
아,미리말해두는데다아시는내꺼에요. 


코렐:
내이름은코렐입니다. 
난남편을죽여버리고싶어요. 
허구한날바람을피거든요. 
그래서매일남편을죽이는소설을쓰고있죠. 
반가워요. 


메리: 
난메리에요. 
난지금짝사랑 중이에요. 
소설은참좋은것같아요. 
날안좋아하는여자랑도소설속에선 
얼마든지질펀하게뒹굴수있잖아요. 
앞으로친하게지내요. 


도로시:
봐요,모두당신을환영하고있어요. 


함께:
우리는로렐라이언덕의여인들 
낡은펜으로새로운길을찾아 
억눌려온욕망을일으켜 
넘쳐나는광기를불태워 
오직나를위한길을찾아 
진정내가 
나일수있는 
(나일수있는) 
진짜나를 
만날수있는 
(만날수있는)
아주특별한 
길을찾아 
우리는로렐라이언덕의여인들 
우리는우리를이종이위에 
우리는로렐라이언덕의여인들 
이작은펜으로 우리는우리를위로해 

 

 

ローレライの丘の女たち」


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アンナ:
本当に不思議な感じ
わたしみたいな人たちが他にいるなんて
普通、女が文章を書いたりすると、みんな変な目で見るじゃないですか


ドロシー:
アンナ、私たちは変なんかじゃない
私たちは、自分を癒やす方法を知っているということよ

何か言いたいのに
どうやって始めたら良いのか分からないとき
誰かに打ち上げたいのに
誰も聞いてくれないとき
私たちは自らをこの紙上に書き記す


全員:
我らはローレライの丘の女たち
この小さなペンで大いなる城を築く
我らはローレライの丘の女たち
この小さなペンで大いなる城を築く

古びた習慣を壊し
馬鹿馬鹿しい規範を崩す
そして再び
その場所に城を築く
その場所に新しい城を築く

我らはローレライの丘の女たち
この小さなペンで大いなる城を築く
哲学で葺いた屋根と
信念で立てた柱
象徴で創った階段と
比喩で組み上げた家具

まだ幼い単語たちが訪れる城
未熟な文章が育つ城
いつか彼らが文学になれるように
誰かの癒やしになれるように
城を築く
我らはローレライの丘の女たち


ジュリア:
こんにちわ
私は英国が生んだ最も偉大な作家
ジェイン・オースティンの熱狂ファン、ジュリアです
「傲慢と偏見」の続きがあまりに気になりすぎて
自分で書きました
どうぞよろしく
嗚呼、先に言っておくけれど
ダーシーは私のモノよ!!!!


コーレル:
私の名前はコーレルです
夫を殺してしまいたいんです
本当にいつも浮気ばっかりするんですよ
だから毎日
夫を殺す小説を書いているの
お会いできて嬉しいわ


メリー:
わたしはメリーです
わたし今、初恋をしているの
小説ってすごく良いと思います
私のことを嫌いな女とも小説の中では
幾らでもグチャグチャにやり合えるじゃないですか
これから仲良くしてね

ドロシー:
ご覧、皆あなたを歓迎しているわ!

 

全員:
我らはローレライの丘の女たち
古びたペンで新しい道を探す
押さえ付けられた欲望を興し
溢れ出る歓喜を燃やす
ただ私のための道を探す

本当に私が私になれる
(私になれる)
本当の私に出会える
(出会える)
とても特別な道を探す

我らはローレライの丘の女たち
私たちは自らをこの紙上に
我らはローレライの丘の女たち
この小さなペンで
私は私を癒やす

 

 

韓国旅行2日目&3日目

韓国旅行一日目の記事はこちら

kakari01.hatenablog.com

 

韓国旅行二日目(12月30日)

・「韓国一人旅、結構いけるな……」という謎の自信感と共に就寝し、明けた二日目。二日目は景福宮見学、仁寺洞でショッピング、そして江南方面にてミュージカルJCS観劇という予定だった。なお歴オタ歴が長いので、朝ゆっくりな旅行が今でも新鮮に感じられる。

・前日、コンビニで購入したドーナツが異様に美味しかった。これはドーナツハンターの正井さんにお土産に買って帰らなければ……と朝から友人への土産を決める。

・真冬の景福宮は寒かったが、わたしが渡韓した一週間はそれでも暖かい方だったらしい。

・建物が格好良い~!!!と胸が騒ぐ歴オタのにんげん。

・近所では韓服レンタルもしており、韓服での入場料は無料になる。観光人も地元の人も、老若男女が思い思いの韓服を着ていて良かった。わたしも着てみたが、かなり適当に店を選んだためか「今日は寒いからね!!!」と着ているセーターの上からおよそ二十秒ほどで着付けられ、大変インスタントな韓服スタイルでした。

・歩き回るのに疲れたので、早めに切り上げて仁寺洞へ赴くことに。

・ちなみに韓国、様々なところで屋台が出ていて、しかもどれも美味しかった。「屋台にもチャレンジしたい!」と思って最初に買ったのが、明洞駅の出口付近に売っていたこれ。食べてみると甘いカステラ生地で「当たりだ、美味しい~~!!!」と食べていたら、中からゆで卵一個が出てきてびっくりした。甘塩っぱくて最高。毎朝食べたい。

・雑貨がすきなら仁寺洞は楽しいはず!道沿いにずらりと並んだお店のほか、色んなアーティストの作品が見たり買ったりできるモールもあって夢中になった。雑貨の他、伝統韓紙や焼き物や洋服も売っていてめちゃくちゃ楽しかった。途中からもう普通に買い物してた。

・厳選を重ねて購入したコーヒーカップ(ソーサー付き)が可愛い!!!あとニットとワンピースを買ったり茶碗を買ったりしました。試着できないけど1000円くらいでめちゃ可愛い服が買える店があって衝撃的だった。韓国ならではのお土産もたくさんあって素敵でした、また仁寺洞は行きたい。

・「韓国のお洒落なカフェにたくさん行く!!」と決めていたため、行きたいと思っていた伝統茶屋さんにもチャレンジ。韓屋をリノベーションしたお洒落なカフェ。(しかし冬はテラス席がないので、それ用のすべての椅子が端に積み上げられていて謎の壮観を醸し出していた)

・おしゃれ!!!見て!!!しかし注文の時、店員さんに何か確認されたのだが聞き取れなかったので適当に「あー大丈夫です~」と返事をしていたのだが……どうやら、なつめ味の伝統茶となつめ味の水氷菓子を注文していたらしく、両方甘々かつ同じ味でホット&コールドというスペシャルな組み合わせを生成してしまった。

・このまま江南方面に行く予定であったが、想像以上に買い物してしまった&陶器も買ったので一旦ホテルに戻ろうかな~と思いつつ、Twitterを開くとDMが来ている。開くと、友人からの「ミュージカル『ブラザーズカラマーゾフ』の再演が決まりましたよ!!!!」という連絡だったので相当取り乱す。「か、韓国に行きたい!!!(いまおる)」「わたしはあと半年で韓国語がぺらぺらになるんですか!!?」「あのイワン・カラマーゾフが本当にまた観れるの!!?生で!!?仕事休み取れるかな!!!?」もうなにもわからなくなるわたし

・なお、今回韓国に来たのも実は「もしブカマが再演したときに初渡韓だと焦るから予習も兼ねて」という気持ちがあったのである。本番が思ったより近い。もうなつめ茶の味が分からん……と思いながら飲み干し、とりあえず深呼吸するためにホテルに戻る。予定を前倒して動いていてよかった。

 

・本日のメイン、韓国版ミュージカル「ジーザス・クライスト・スーパースター」。昨日の大学路ミュージカルが小劇場、京都磔磔ライブハウスだとしたら、こちらはめちゃくちゃ広い大劇場でゼップ大阪とかそういうかんじ。

・演出も独特で面白かったです。わたしはJCSが大好きで、特にイギリスアリーナ版が大好きなのですが、解釈もまた違っていて、そういう発見をするのも良かったです。ユダがめちゃくちゃジーザスを好きで切なかった。このユダのジーザスの「わからなさ」は人間と神の子のあいだの壁ってかんじだったな……。ユダのイエスに対する「もう一度私を愛してください」の歌詞が聞き取れて「韓国語を勉強しててヨカッターーー」となる。ばかね、イエスはユダを愛さなかった瞬間はないわよ、ユダ自信を持つのよ!!!あとは、熱血党のシモンとペトロがすごい可愛かった。ペトロの知らないと三階言うシーン、これまで見てきたなかでベスト・オブ・ペトロだった。

・敵側で出てくるパリサイ派司祭のカファヤ様が美しすぎてびっくりした。その髪型している人間、hydeとかしか見たことないですけど~~!?という編み込みであまりに美が光る。逆にアンナスがすんごい韓国ノアール映画に出てきそうなオールバックのおじさんで、このペアがすごくよすぎて新しい歴史が始まっちゃうじゃんと思った。

・終わってから、ロビーで携帯の電源を付けようとするもつかないというアクシデントが発生。めちゃくちゃ焦るも、とりあえず予備バッテリーを繋いで様子を見る。他の客がエスカレーターに流れているのを見つつ、十五分くらい待つも回復せず。「ジーザスと共に昇天したか……(放電状態かマジで壊れたかどっちかだな)」と判断し、とりあえず駅に向かうことにする。だが当然、NAVERナビで来たので駅が何処にあるのか分からない。しかもロビーで時間を潰しすぎて、外に出るともはや人がまばらになってしまっている。全集中をかけて見極めろ、駅に直行しそうな人間を……ということで、友人連れカップル連れ家族連れも多い中、わたしと同じように一人で来ていた同年代の女性の後をつけて歩き、無事にアックジョン駅に到着。おたくらしきの後をつけていれば目的地に着く、これは世界共通で使える技かもとおもう。(なお、携帯は地下鉄に乗って暫くした後に息を吹きかえしました。しぬかとおもったんじゃ)

・なお、開演まで時間を潰していたお洒落なカフェ~~!!!いま日本でも、こういう「今風の韓国っぽいカフェ」が流行しているのだが、本当にお洒落でよかった。

 

韓国旅行三日目(12月31日)

・今日の予定は、明洞に餃子を食べにいき、大学路散策を楽しみつつミュージカル「種の起源」及び「女神さまが見ている」の鑑賞である。なお、ホテルを出る前に、フォロイーさんのイ・ランさんから「きょう良かったら会えませんか?渡したいものがあって……」という内容のメッセージを頂いて「いいんですか!!!?うれしい~~~!!!」と有頂天になる。現地の知り合いや友人たちにも会いたいなと思いつつ、年末だしいきなり日本から来るオタクに会うのは警戒するかな……わたしもまだ上手く韓国語が話せないし……となっていたので、声を掛けて頂けて本当に嬉しかった。なお、イ・ランさんもミュージカル「ブラザーズカラマーゾフ」のファンの方である。

・朝十時半から開店する明洞餃子、開店時間に行けばいいだろと思っていたら既に長蛇の列。「まじか~」と思いつつも、開店してみるとあっという間に人が流れていき十五分くらいで席につけた。餃子が目当てだったが、カルグクスも有名らしいので頼むことにする。この店は前払い制だ。横の席の人が頼みつつサッとカードをお店の人に手渡しているのをみて学び、同じようにトライ。「絶対量多いけど、朝御飯抜いてきたし大丈夫だよね……」と思っていたらテーブルに並んだのが上のやつである。

餃子、二個でお腹いっぱいだが?というくらいのデカさがある。でも地元の人にも観光客にも広く愛されているだけあってすごく美味しかった。なお、「もう食べきれないかも知れない……」と思ったところで、横の人が「箱下さい」と言って持ちかえり用の箱を貰うのを目撃する。すかざす「わたしも箱と袋下さい!」と言って持ちかえることに。「この紙を下に敷いて並べるのよ~」と店のおばちゃんが教えてくれる。ありがとう明洞餃子、無料の持ち帰り箱と袋を用意してくれて……。

・明洞、安いスーパーとコスメ用品店があったので「もうここで土産を買おう!!!」を決めて、お菓子やらコスメやらを色々買い込みました。本当は最終日にソウル駅のマーケットでするつもりだったけど、余裕があったほうがいいので……。ということで山ほど買い物し、やはりホテルに一旦戻る。地下鉄一駅なので、持ち歩くより帰った方がよっぽどラクなのだ。

 

・午後1時にイ・ランさんで恵化駅で待ち合わせる。オタクのオフ会、毎度待ち合わせのときから楽しい。無事に合流できたのち、挨拶もほどほどに、イ・ランさんからプレゼントを頂く。なんと渡したいモノとは、ミュージカル「ブラザーズカラマーゾフ」の実況CD(非売品)であったのだ。「えっ!!!????こんっっっな貴重なもの、頂いて良いんですか……!!!?」「ぜひ、私は二枚持ってるので……」二枚あったとして、聞く用と保存用にしなくていいんですか!?と思うのだが、なんでも、わざわざ日本から来るわたしに是非と思って声を掛けてくださったらしい。なんて良い方なんだ。

・写真は日本に帰ってから写真撮影したミュージカル実況版CDと、わたしの永遠の推しCPスメイワのトレーディングカード。古典ロシア文学ジャンル、長くやっているとちゃんと推しCPがトレーディングカードになる!!!なお、このカードもイ・ランさんから頂いたものです。わたしの大好きなアン・ジェヨンさんのイワンのカード……本当に有り難うございます……!!!!

・韓国の小劇場は、開演10分前くらいになって漸く客席に人が入る。ミュージカル『種の起源』までは一時間くらいあったため、一緒にお茶をして頂くことに。ちなみに大学路、役者さんのお誕生日カフェ(センイルカフェ)というのを色んな所でやっているらしい。日本で言うところの、アニメコラボカフェの役者さんバージョンという感じであろうか。とは言え、当日までセンイルカフェの存在を知らなかったわたし。ちょうど、ぶかまでアリョーシャ役をやっていたヒョンソクさんのセンイルカフェが開いているというので、イ・ランさんに連れて行って頂く。

・センイルカフェ、めっちゃ楽しかった~~!!!特典付きのコーヒーがあって、それをご馳走になりました。店中に俳優さんの写真がたくさんあって、綺麗に飾り付けされている。韓国ミュージカルジャンルの方が、よくSNSに挙げている写真はこれだったのか!とひとしきり感動する。コーヒーを飲みながら、韓国ミュージカルのお話しなども出来て最高のひとときを過ごしました。なおイ・ランさん、わたしのぶかまスペースに遊びに来て下さったこともあり、めちゃくちゃ日本語がお上手なのだが、どこで勉強されたのか聞くと「独学です」とのこと。ど、独学でこんなに話せるようになるんだ……!と吃驚するのと共に、非常に励まされるきもちに。

・大学路はたくさん劇場があって迷うので、と当該会場まで送ってくださったイ・ランさん、昼公演の「種の起源」が終わった後、よかったら一緒に食事しましょう、と約束までしてくださって本当に感謝しかないです。

・韓国で非常に売れたスリラー小説「種の起源」がミュージカルになると知ったとき、「本当に大丈夫か?」と思ったのだが、まさか自分が現地に見に来ることになろうとは。エンタメ的な面白さと物語の加害性や倫理性が、絶妙な技法とバランスで成り立つ原作小説を知る以上、それがどのように料理されているのかは気になるところでもあり、また不安なところでもある。なお、わたしが観た回にはぶかまでイワン・カラマーゾフを演じた役者さんのひとり、ユ・スンヒョさんが主演を張っている。

・ハン・ユジン×ハン・ユジンに特化したミュージカルだった(当然、原作にそんな要素はないのだが)ミュージカルという第三者的な視野からしか演出し得ないものに翻案する以上、原作の核ともいえる「あやうさ」にあまり触れにいかなかったのは、ある意味では賢明なのかも知れない。演出なども、プロジェクションマッピングを演出に使うなどして直接的なゴア表象を避けていた。ユジンの餌食となるのも、若い女性から酔っ払いのおっさんに変更されたり等、もろもろ。スンヒョンさんの神経質に抑えた演技がすごく怖くて良かったです。なお、攻め側のユジンをしていたソンヒョクさんの歌が上手すぎてめちゃすきになってしまった。

・わたしを待つ間、イ・ランさんは別のセンイルカフェに行っていたらしい。このあと、一緒にお洒落な生活品セレクトショップを見て回ったり、マロニエ公園を散策した後、夕食へ。鶏肉が食べたいわたしのために、ダッカルビの店を選んで貰いました。このお店、オーナーが韓ミュ関係のひとらしく、店の壁がポスターになっています。

・基本的には日本語で話しつつ、わたしが韓国語で話せるところは韓国語で返すといった感じで会話していた。すごく楽しかったし、実際にお友達とあって話すと「もっと上手にたくさん話したい~!!」という気持ちになってよかったな。奇しくも、昨日我々の大好きな『ブラザーズカラマーゾフ』の再演が決定したばかり。いろいろ話に花が咲いて、いつまででもお喋りできそうだった。

・なお、頂いたダッカルビの写真。餅も入ってる!チーズトッピングもした!右側の色の薄い方が醤油味なんだけど、これが本当に美味しくて良かったです。そして、外国で体当たりでいろんな店に入って食事をし続けてきたけど、横に友達がいてくれて一緒に食べる韓国料理は、本当に本当に美味しかったです。イ・ランさん、素晴らしい思い出をどうもありがとうございました。「ぶかま再演時にまた会いましょう!」とお約束させて頂いたので、それまでにもっと韓国語の会話を磨いておきます。

 

・そして「女神さまが見ている」二回目の公演。これは前記事を参照に。

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・終了したのは午後八時頃。胸いっぱいの楽しさで満たされたわたしが、床につくには早すぎる時間である。ということで、東大門のナイトショッピングに出かけてきた。

・東大門は卸の町で、明け方まで買い物が楽しめ、洋服や靴や化粧品がおどろくほど安く手に入る。なお、小売りをしているショッピングモール風の店もあり、そちらであれば観光客も入りやすい。散々散策した後、ベージュ色の美しいスカートを買いました。もう韓国に来て普通に洋服を買いまくっている。とはいえ、一時間半くらい見て回ったところで、さすがに体力の限界が来たのでホテルに戻り、休むことに。しかし、そのまえに、コンビニに寄り、気になっていたあれを買う。

・日本の規格からすると、あまりにデカすぎるヤクルト。なお韓国映画の悪役御用達というイメージがある(金持ちで健康志向で嫌な奴、というテンプレらしい)

・ホテルに戻り、熱いシャワーを浴びた後、コンビニで買ったいちご牛乳を飲みながら、韓国のカウントダウンテレビを観た。生まれてこの方、日本以外で年を越したことはない。ドストエフスキーおたくの自分が、韓国版ミュージカル『ブラザーズカラマーゾフ』にハマり、一年程度必死に韓国語を勉強して、いまこうしてひとりで韓国でテレビを観ながらいちご牛乳を飲んでいるのはすごく不思議な感じだ、と思う。まだ韓国語もよわよわで、不安しかなかったけれど、本当に来て良かった。そして冒険を体験したときに毎度思う、わたしは自分が思っている以上に、もっと自由に生きていけるはずだ、という感慨が身体を満たしている。

・カウントダウンを見終えてから、ベットに入った。あっという間の三日間で、もう明日の昼頃の便で帰国しなければならないのが不思議な感じだ。果たしてわたしは、時間通りに仁川国際空港に辿り着けるのかしらん。目を閉じながら、来年はいい年になればいい、社会も、自分も、わたしの好きな人も、わたしの嫌いな人も、わたしの知らない人も、と思う。

 

・有り難う韓国、また半年後(なぜなら、ぶかまの再演が3月~6月なので)必ず戻ってくるぜ!!!そして長い記事を読んでくださった皆さま、有り難うございました。

韓国旅行1日目

12月28日

・仕事が終わり、帰宅。前日に大体荷物は詰め終わっているので、さしてやることがない。度胸試しに、韓国人と通話できてめちゃ勉強になると噂の通話アプリ「マウム」で電話を掛けてみる。七分半通話無料で、プロフィールから合いそうな相手をアプリが勝手に選んでくれるというもの。韓国語が下手すぎるからかヤングさに欠けるからか、途中で切られたりしつつも、四人くらいと通話。最後はめちゃ日本語が上手い子と日本語で話す。明日から韓国旅行行くんですよ、一人で、と言ったら「えっ、友達いないんですか?」と言われる。おる……おるよ……。

・語学どうこうより、初対面の人間と七分半会話ができるかというコミュ力を試されている感じがする「マウム」、心労がすごいので今後使うかは要検討。ただ、全く通じてないわけでは無かったので「明日からも何とかなるだろ」という気持ちになったのはよかった。

 

12月29日

・早起き。化粧がものすごく可愛くできたので「これはもう幸先が良すぎる!!!」と謎の有頂天を迎えながら家を出る。

関西空港から発つ午後一時頃のピーチ便だが、自分を信頼していないので三時間前に空港着。空港内でWi-Fiを借りる。安く借りたい人間は事前予約とかするといいです。

・第1ターミナルでピーチ便の受付を探すが全く見当たらずいきなり詰む。だが詰んだとき「この詰みはわたしが世界で初めての人間ではないはず!先人たちよ、我に明光を!!」と検索すると、わたしと同じような状況に陥った人々が足跡を残してくれていると分かっているので調べる。ピーチ便は安いので果ての第2ターミナルに受付があるらしい。格安便はターミナルが遠いという宿命があるようです。

・暇するかと思ったけど、両替したり(向こうでプリペイドカードを買うつもりだったけど、とりあえず一万円分だけ現金にした)色々しているうちに何やかやで日本発。

・無駄に窓際の席を取る。だって嬉しいから~!!!!フライトの時間は二時間くらい。本でも読みたかったけど、そわそわしているうちに着いてしまった。舞い上がっていて、時間感覚が朝から変になっている。

仁川国際空港到着。何も分からないので人の流れに沿って歩いて行く。入国できるか死ぬほど心配するも、事前準備が功を成してつつがなく入国できました。ここだけは流石によく調べておいた。えらい!(教えて下さった皆さま、ありがとう)空港についてすぐ、Wi-Fiを落として蓋が彼方に飛んで行ってしまい、しぬかとおもったけどWi-Fiは死んでなかったので良かった。この瞬間「携帯かWi-Fiが死んだら自分も死ぬな」となんとなく悟る(なお旅行中、死の危機を何度か迎える)

・空港から電車に乗ってソウル駅、そして東大門方向へGO!切符が可愛い!だが、ソウル駅直行便に乗ったつもりが普通の地下鉄に乗ってしまう。調べてから乗れ、なぜ乗ってから調べるんだ(本当にそう)夜に大本命ミュージカルの公演が控えているので若干焦るが、なんとか大丈夫そうなので落ち着く。

・最寄り駅に到着。だが、切符を翳して改札を出ようとするも音が鳴って出られない。ちゃんと駅分まで買ったはずだが……?と思っていると、見知らぬおっちゃんが近づいてきて色々助けてくれた。何か調べたあと、「あ~これは……」となったらしく、最終的に「いけ!」と改札を自らの手で押し開けて通してくれた。手で!!? 改札はダメと行っているがおっちゃんが良いといってるならいいのか!?(まさか) しかしおっちゃんを心配げに伺うと、おっちゃんが力強く頷く。そのあまりの力強さにわたし、おっちゃんの手によって改札を潜ってしまう。「ああソウルの地下鉄の人、これが間違った手続きだったらごめんなさい……」と心の中で謝罪しました。そしておっちゃんにお礼を言おうと振り返ると「返金がある!!」と言われ、良く分からない機械を指差される。切符を通せ、と言われるので切符を通したらお金まで返ってきた。なぜ返金まで?何一つ合って無くない?まじで無賃乗車になってない?!と混乱するも、とにかく急いでいたのでおっちゃんにお礼を言う。おっちゃん有り難う、あなたに幸あれ……そして無賃乗車になっていないことを祈る。

・そのまま東大門のナインツリーホテルへ。Googleナビが使えないのでNAVERナビを使ったのだが、「電車を降りたら左へ行け」「二番出口から出ろ」など細かく書いている上、進んでいる方向に矢印が出るので、迷子気質には助かる。

・ホテルへ到着。予約番号を見せながら話そうとするも、普通に日本語で返ってきた。綺麗な部屋で嬉しい~!!!化粧を直し、すこし休憩。テレビを付けると当然韓国の番組が流れているので、字幕がよく出るものを選んで暫く流しておく。

・最寄り駅から大学路へは十五分程度で着くらしい。物販が一時間前に開くらしいから早めにいくか……とホテルから駅に向かう。向かう途中、経路を調べようとするもネットが繋がらず。電波が悪いんか?しかし更に、駅で地下鉄を調べようとするも繋がらず。可笑しい……と、ここでふと「これは絶対部、屋にWi-Fi置いてきてるやん」と悟り、血の気が引く。取りに戻るのは面倒くさい。しかし、これから行く劇場の場所も検索しないと分からない以上、取りに戻るしかない。既に公演まで一時間を切っており、めっちゃ焦るが「くっ……この、大和のミカサ・アッカーマンと呼ばれたわたしの脚力を見ろ!!!(なお本当に呼ばれたことはない)」と真冬の東大門をブーツで爆走する。暑い……韓国は寒いと聞いていたけどめっちゃ暑いが!? そして化粧を直した意味がない!!! ベットの下に転がっていたWi-Fiを掴んで、駅にトンボ帰り。

・韓国旅行にめちゃくちゃ便利といわれる、交通カード兼用のプリペイドカードがある。息も絶え絶えにそのカードを購入。交通カード部分の入金が良く分からなかったけど、しばらく格闘してなんとかなる。なお、韓国の地下鉄は大阪市営地下鉄に非常に良く似ており、初日以降は最早友達くらいの親しさで気楽に使用できました。分かりやすいし、そもそも色が一緒なんよ、色が……落ち着く。

・大学路へ着。若者が多くて活気の多い街。迷うかと思ったけど、ナビに従って七分くらい歩くと劇場に到着。「女神さまが見ている」の看板が目に入った途端、胸に安堵感と感動が広がる。ちゃんと到着できたじゃん……!!!

・しばらくウロウロするも、人の流れを見て「地下がある?」と思って降りてみたら、チケット交換ブースと物販ブースに到着。やったぜ!とにかく周囲をよく見て、同じことをやれば大丈夫。いよさんの渡韓日記にあったように、予約画面を受けてチケットを受け取る。「これが……わたしのチケット……!!!」ともう既に泣きそうである。泣いた。韓国は旧暦で正月を祝うためか、ホールにデカいクリスマスツリーが出しっぱなしになっている。とにかくすべてが素晴らしく見えるため、クリスマスツリーとチケットを記念写真する。

・物販ブースにも当然並ぶ。並ぶとはいえ、韓ミュは何度も見に来るひとも多いため、並んでいるのは三人くらい。台本は絶対に欲しい、と思っていたが、物販のお姉さんの前に立つと「せっかく韓国まで来たのに、それだけでいいの?」という気持ちになってくる。そして物販がガラスケースに入っているため「これ、一個ください」がしづらい。色々まごつくも、お姉さんが「なんか、海を越えてはるばる見に来た人間のようだな……」ということを察して下さり、非常に丁寧に接客してくれる。種類のあるピンバッチも、自分の胸についているのを指差して「こっち?」「こっち?」と尋ねて下さった。超やさしい、本当に有り難うございます……!!!迷いつつも、台本とCDとピンバッチを買い、推しであるアン・ジェヨンさん宛に書いた手紙もお姉さんに託す。「渡しておきますね」とにっこり受け取って下さるお姉さん。このお姉さんが一生涯幸福でありますように……と祈りつつ、買い物を終える。

・現地の方は十分とか五分前とかに劇場に入るようで、同じくらいに着席する。一階席の見やすい場所だったので、めちゃくちゃテンションが上がる。嬉しい~!!!舞い上がりすぎて息苦しいほどだが、チケットを取ってくださったいよさんも、一生涯幸福であってほしいとお祈りする。

・公演開始。公演の感想は別記事で。めちゃくちゃ良かったです。

 

kakari01.hatenablog.com

 

・公演終了したのが午後十時。とりあえずホテルの最寄り駅に戻る。寄ろうと思っていた食堂が閉まっており、開いてるのは飲み屋ばかり。この時点で、韓国の飲食店に一度も入っていないため、入り口に立つだけでも緊張感が凄い。結局「とりあえず肩慣らしするか……」と目に付いた韓国ロッテリアに入る。すると、注文がパネルで出来る!精算も非対面でできる!と非常に初心者向けだったので良かった。日本にはないプルコギバーガーを食べたのですが、美味しかったです。(あとでカルキさんから「毒戦じゃん!」といわれ、冒頭のシーン!となりました)

・度胸試しその2、取りあえずコンビニ使ってみるか……ということでホテル横のコンビニに行き、見たこともないドーナツとコーヒーを買う。なおコンビニ等のレジはプリペイソカード決済や電子決済、クレジットカードが主流らしい。わたしは主にプリペイドカードを使いました。「なんか分からんけど、レジのこの機械のここにプリペイドカードを置けば良いんやろ?」と自信満々にサッとあてると、合っているときはそのまま会計出来るし、合ってないときはレジの人が正しいところにあててくれるので大丈夫です。

・ということでホテルに帰宅。劇場も無事つけたし、地下鉄もマスターしたし、交通カードのチャージの仕方もレジの決済も分かったし、ということで初日の感想としては「なんとかやっていけそう」というところに終結。観劇の感動を噛みしめながら、少しだけスペースでお喋りさせてもらって就寝。明日は景福宮見学と仁寺洞めぐり、そして江南でJCS観劇です!!!(予定を詰めすぎる)

 

 

二日目に続く

韓国ミュージカル『女神さまが見ている』雑感

 2022年、年の暮れ。大好きな韓国版ミュージカル『女神様が見ている』(通称:よぼしょ)を観に韓国に行って来たので、忘れないうちに作品感想を書いておこうかなと言う記事です。ちなみに旅行記ではない……旅行記はまた別で書けたら良いなと思うけど、莫大な時間が必要になりそうなので、書けるかどうか分かりません。

 

 

 

12月29日『女神様が見ている』

<STORY>

 朝鮮戦争時代。北朝鮮軍の捕虜を釜山に運ぶ任務を受けた韓国軍のヨンボムは、後輩のソックと共に任務に就くが、途中で大嵐に遭う。難波した船が流れ着いたのは、どこの果てとも知れない無人島。北朝鮮軍の鬼軍曹チャンソプによって逆に縛られてしまったヨンボムは、絶体絶命を迎える。

 しかし、北朝鮮軍も追い詰められているのは同じだった。天才的な船舶修理技術を持つ北のリュ・スンホ(スノ)は戦中のPTSDによって、すべてのものに子供のように怯えることしかできなくなっている。極限状態が続き、次第に人間らしさを失っていく軍人たち。生き残りを賭け、食料を奪い合い、ギスギスも最高潮を迎える頃、突然の打開策を開いたのは、悪夢にうなされるスンホを気の毒に思ったヨンボムが語った作り話だった。

 この島には、うつくしい女神様がいるんだ。だから、何も怖がらなくて良い。

 ヨンボムが作りだした物語は、スンホの傷ついた胸に予想以上に染みこんだ。女神様の存在に励まされ、スンホは急に活気を取り戻す。更に、女神様の喜ぶことがしたい、というスンホにヨンボムは「女神さまはお願いを聞いてくれる人が好きなんだ」「船を直してくれないかな~」と巧みに誘導を試みる。

 上手くいけば、このままスンホがすべて船を直してくれるかも知れない。とはいえ、寝物語の「おはなし」の力はさして強くない。急変したスンホの様子を訝しむチャンソプに、ヨンボムは「スンホに疑いを持たさず船を直すには、みんなで女神様が見えるふりをするしかない」と説く。

 かくして、北と南の軍人たちは一時休戦し、『女神様が見ている作戦』を決行することになる。男達は、ヨンボムが作った「女神様は静かな場所を好みます」「争いは禁止です」「みんなで平等に分け合いましょう」「身体は清潔に」等々の設定に合わせて、一緒に生活を始めることになる。

 馬鹿馬鹿しい「ごっこあそび」。船さえ直れば、相手を消してしまえばいい。お互いにそう思っていた。しかし、ただの手段だったはずの「女神さま作戦」は軍人たちに少しずつ影響を与え出す。互いを支え合い、ケアし合う暮らしは次第に彼らの人間らしさ、故郷への思いを取り戻させることになりーー。

 

 圧倒的な人気を誇るミュージカル作品『女神さまが見ている』の十周年公演が行われ、かつて出演していたアン・ジェヨンさんが再び出演すると知ったのが、今回のわたしの一番の渡韓の目的だった。(ちなみにジェヨンさんはミュージカル『ブラザーズカラマーゾフ』でかなり高慢に解釈したイワン像を演じ、わたしの心をめちゃくちゃにしたハチャメチャ歌ウマお兄さんである)

 『女神さまが見ている』は、日本語字幕付きで何度か配信されている作品だ。最初に見て以来、そこに含まれる優しさと哀しさ、物語を包み込む力強い人間賛歌に大ファンになってしまった。

 海を渡った先での、ミュージカルの生観劇。とにかく、ものすごくパワーを感じて面白かった。歌の圧倒的な力もそうだが、作り込まれたライティングによって増す「瞬間」の力による説得力なども素晴らしかった。韓国はミュージカル文化が盛んだが、そこで磨かれるのは歌唱力だけではない、演出力も作曲もすべてが高い水準で磨き上げられているのを感じて、本当に圧巻だった。

 悪夢にうなされているスンホの内側を描いた楽曲「悪夢に祈って」の恐ろしさ。真っ赤なライティング、足を踏みならして舞台を徘徊する兵士の亡霊、繰り返し目の前で死に続ける兄の姿は、映像でみる百倍は怖かった。

 もう僕を離して どうか僕を探したりしないで

と悪夢に祈り続けるしかないスンホの閉じ込められた場所の辛さが身に染み入るようだ。

 『女神さまが見ている』に対して、つい兵士達が女神様の元でキャッキャウフフと生活し始めてからの可愛いイメージを抱いていたのだが、その実、最初から最後まで緊張状態が続いており、その緩みと張りの演出が巧みなのだと最近気付いた。緩急の落差が大きく、それゆえにわたしたちは何度見ても彼らの姿に戦き、笑い、胸を痛め、涙を流す。

 生で見たアン・ジェヨンさん演じるシン・ソックの可愛さは語るまでもない。主人公ヨンボムの後輩分であるソックは、いわゆる「永遠の後輩キャラ」というべき愛らしさを持っているのだが、役者によって様々な演じ分けがなされる。なお、ジェヨンさんのソックは「とにかく背も動きもデカく、心から素直なアホで良い奴」というキャラ付けがなされている。イワン・カラマーゾフをやった俳優がシン・ソック役というのも最初は信じがたかったが、実際に観てみると考えていたより千倍くらいアホで吃驚した。ものすごくかわいい……そして果てしなくアホだった。きみは今までどうやって生きてきたんだ。

 そんなアホなソック君が、実は隣に住む未亡人のお姉さんに長年思いを寄せていたこと、遂に告白しようと決心したときに徴兵されてしまったことなどが描かれる過去パートと共に歌われる楽曲『つぼみ』の切なさ、やりきれなさは凄まじく、そのギャップがまた心に刺さる。いうまでもなく、歌っているのは、その圧倒的歌唱力と演技力で瓦解するイワン・カラマーゾフを力強く表現し、わたしを一ヶ月の不眠症に叩きつけたアン・ジェヨンさんである。

 夕暮れどき、徴兵されるソックから発される叫び。周りの誰からも「それは愛じゃない、同情だよ」と言われ理解を示してもらえなかったソックは怖くて、恥ずかしくて、お姉さんに思いを伝えられなかった。ああ、あのときに気持ちを伝えられていたら、一緒に生きようと一言でも言えていたらーー。

 スラムダンクにも見られる「登場人物の過去が順番に明かされ、途端に彼らの心に秘めた熱い思いや苦痛やさみしさに気づき、好きになってしまう」という手法が『女神さまが見ている』でも用いられている。

 上で挙げたスンホやソックだけでなく、体力も知力もないが、口先だけでなんとか生き繋いできたいい加減男ヨンボム、北の軟派なパリピお兄さんジュファ、誰もが恐れる冷徹で残酷な軍人チャンソプ、チャンソプの忠臣でお堅いドンヒョンなどにも、それぞれの過去があり、事情があり、帰りたい場所があることが、物語の終盤で明かされる。

 『女神さまが見ている』は非常に仕掛けの多い舞台で、登場人物も多いだけに、何度見ても新しい発見がある。ヤン・スンリさんが演じるチャンソプは、非常にスマートな冷酷さを持っている。しかし、それゆえに『女神さま作戦』が進むうちに、チャンソプが本来持ってきた繊細さ、優しさが見え隠れしだし、さらにそれを潰して自分を「強くて奪い取る側」として造り替えて生きてきたことへの苦悩と恥が感じられてとても良かった。

 女神さま役のヨヌさんの演じ分け、歌唱力も本当にすばらしかった。誰かを思いやり、その痛みの声に耳を傾け、寄り添い、なにかしたいと勇気をもって立ち上がることで、わたしたちは繋がってくことができるはずだ、というこの物語が持つメッセージに説得力を与えているのは、何と言っても女神さまの「存在」感である。

 

 何度配信で観ていても、やはり劇場で直接観るパワーは凄い、と初日から圧倒された観劇だった。

 朝鮮戦争についての物語を、日本人である自分が韓国の人々と同じように楽しんでいいのだろうか、という問いは常に自分の中に存在しているし、それが薄れることはないと思う。しかし、そこにある責任も辛さも含めて、この『女神さまが見ている』という舞台を見ることは、わたしにとって非常に大切なものなのである。

 

 

 

12月29日『女神様が見ている』

 

 大まかなストーリーを含めて、29日分でかなり語ったので、こちらは雑感のみにしたい。

 この日はとにかく、テジュンさんのヨンボムがあまりに良かった。この主人公のソン・ヨンボムと言う男、意気地がなく、極めていい加減で、口が軽くて上手く、でもやさしくて、兄貴肌もあって……というようなキャラクターなのだが、どの特性にどれだけ重きを置くのか役者さんによって、かなり差が出る。どのヨンボムも楽しく見ているのだが(今更だが、韓国のミュージカルは一つの役にトリプルキャスト、もしくはそれ以上をあてたりしている)、テジュンさんのヨンボムは個人的なヨンボム感と非常に解釈が近くて大盛り上がりだった。

このいい加減さ! その場しのぎの口の巧さ! 馴れ馴れしさと図々しさ! 

そして実は、暴力を厭うやさしさと力強さも秘めているキャラクターというところが、最高によかった。歌も何事かと思うくらいに上手い。この「めちゃくちゃいい加減な男」がその圧倒的歌唱力ゆえに、ありもしない(と思われた)「女神さま」をあまりに精密に描いてしまった、という説得力のバランスが面白いのである。

 チョンウォンさんのスンホは、物凄く可愛かったのだが、ちらちら腹黒さが見えて、見ながら何度か「スノ……?」となってしまった。おまえ、全部分かってやってるだろ。

 あとこの回、異様にソックとジュファが仲良しすぎて気持ちが大変だった。二階席だから、全体がよく見えるのだ。チャンソプの過去パートで大泣きをするわたしの目端に、暗闇で始終イチャイチャしている姿の二人が写っていて心が引き裂かれました。なんでそんなに乳繰り合っているの!いつの間にそんなに仲良くなったの、きみたちは!

 ちなみにこの回、といったけど、配信ではチャンソプ以外は見切れているし、29日の公演では一階席でチャンソプ付近を一生懸命見ていたので、周囲がどうなっていたのか分からない。彼らはいつも乳繰り合っているんですか?有識者の方がいたら、おしえてください。

 

(終)

ドストエフスキー中短編のススメ

はじめに

 2021年末、ドストエフスキー生誕百年を迎え充実した一年を過ごしたわたしは「我々は約束された勝利のドストエフスキーオタク!」と歓喜を全身にまとい幸福に胸を震わせ高らかに右手を天に突き立てたのだが、年明け早々その背後で爆風が起こり、ロシアのウクライナ侵略を伝える報道がテレビから流れ続けるようになった。

 長年思い入れを込めていた国がこの二十一世紀に侵略戦争を続けていること、その凄惨さ、自分の無力さを思うと今でもすうっと身体の感覚が遠くなる。今回の侵略戦争でわたし自身が理解したのは、戦争というのはどんなときも市民の命や生活や経済がまず一番軽んじられ、奪われていくということ、そして互いに憎しみ合うよう設計されたプロバガンダの渦に否応なく巻き込まれていくということだ。

 開戦当時、細切れに付けていた日記を見ると、意気消沈し、無力感に押しつぶされた自分のぼそぼそとした声が聞こえてくるようである。ロシアに関するあらゆるを敵視、回避する傾向が現実でもSNSでも漂い始めていた。その様子を見ながら、ロシアの人々の気持ちや歴史や文化を一緒くたにして憎み、閉め出すことは今取るべき態度では無いと思いながらも、ウクライナ侵略の許しがたい凄惨な状態、プーチンの信じられない言説はニュースで流れ続け、わたしは疲弊していった。

 もう自分は、文学を通じて感じていたロシアへの思い入れを失うかも知れない。口を噤んでいるうちに、切り離すことの容易さを受け入れてしまうかも知れない。この閉塞感と絶望感に、自分がずっと耐えられるか分からない。

 一時は本当にそう思った。

 しかし、沈み込んでいたわたしの背をさすり、声を励まして言葉をかけてくれたのもまた、ロシア国内で逮捕される危険を冒しつつも「戦争反対!」と叫ぶ人々の姿、プーチンを厳しく批判する露文学作家の言葉、あらゆる記事をPDFにして添付しメールで言葉をかけ続けてくれた親交のある露文学者、また彼らの書いた書籍から放たれる言葉だった。

 

 

 奈倉氏の本にも、本当に救われた。

 本書は奈倉氏がロシア文学を研究しつつロシアに滞在していた頃のエッセイなのだが、海外文学を胸に抱き、わたしたちが外の世界と出会って交流すること、胸に宿る美しいともしびを求め、愛しながら生きる幸福を教えてくれる一冊だった。

 人文学なんて役に立たない。

 という言葉が如何に役に立たないか、ということが良く分かった一年だったと思う。われわれ人間が個人の感情や欲求からまったく切り離されて自動的に生きる世界が来ない限り、人文学というのは必要であろう。あらゆる歴史と過ちの上に今日があり、今なお可視化すらされていない酷い問題が山のようにあり、そのなかでもわたしたちは目を瞑って十秒数えれば、十秒後の未来の世界に立っている。だからこそ、この世の大きなリレーをつなぐ最先端走者として、今世界で一番あたらしく生きる人間として、否応にも生きていかなければならないわたしたちの指針、羅針盤として機能し得るのが、きっと人文学なのだろう。

 

ドストエフスキー中短編のススメ

 話が長い。だが、今年ドストエフスキーに触れるにあたっては、やはりロシアのウクライナ侵略をなしにして述べることは出来ない。開戦当初は『作家の日記』の一文を取り出して「このようにドストエフスキーも今回の戦争を応援しています」等と権力者にいいように引用されたりと散々な目にも遭った。テクストを恣意的にねじ曲げて取り込んでしまう大罪を再確認し、精密に真摯にそれと向き合うことの大切さもまた学んだように思う。なお今更だが本稿の主旨は、今年読んだドストエフスキーの中短編の幾らかを紹介するというものである。

 

 思ったのだが、ドストエフスキーと聞いて、なぜ多くの人は『罪と罰』から手を付けてしまうのだろうか。確かに、罪と罰が名作であることは間違いない。しかし、書店の夏フェアで購入したものの、老婆が死ぬまでに現実の夏休みが十回終わったという話はよく聞くし、わたしも初読時は面白いと思えるまで時間が掛かった。また『カラマーゾフの兄弟』が素晴らしい作品なのは言うべくもないが、わたし自身初読時は「大審問官」で三回寝たし、大好きな本読み人の「世界文学において最高峰の兄弟BL小説といって過言ではない」という言説を信じ切れなかったら途中で挫折していただろう。

 世の中には看板作品というものがある。とはいえ、THE BLUE HEARTSは『リンダリンダ』だけでなく、thee michelle gun elephantは『ゲット・アップ・ルーシー』だけでなく、L'Arc-en-Cielは『HONEY』だけでない。「リンダリンダ」にあんまりピンと来ないからもう一生ブルーハーツ聞かなくていいや、と誰かが言ったとき、ブルーハーツファンのあなたは「待て待て待てよ」と思わず言うのではないだろうか。ということで、ドストエフスキーにも中短編で面白い作品はあるので、それらを手始めに読み進めてみるのも良いように思う。

 

『やさしい女』

 わたしのフォロイーさんが一冊だけドストエフスキーを読んでくれる、というのならお薦めしたいのは、短編小説『やさしい女』である。(柔和な女、とも題される)

 わたしはかねてよりドストエフスキーの書く、情熱的でやさしくて死ぬほど身勝手で頑固な女たちが大好きなのだが、本作はフェミニズム小説として今再評価されるべきでは無いかと思うほどによかった。

 本作は、傍若無人でミソジストでキモいおっさんの一人称文体で、自分の妻となった若い女との生活を綴った小説である。ドストエフスキーはとりわけ貧困や身分など、社会的地位が低く、声を奪われてきた存在をまなざす胆力があるのだが、そこに女という存在もしっかり入れる作家ではないだろうかと思う。語り部の酷く歪んだ語りからすり抜けていく側面、女の感じていた苦痛や絶望感が「書かれない」ことによって生々しくに表現されているようにすら感じられる。まじですごくいい、おすすめです。

 

『百夜』

 『白夜』も昨日読み終えたばかりなのだが、すごくよかった。百ページくらい短編でありながら、ずっと心に残り続けるようなロマンチックさと滑稽なほどのしょっぱさが混合し、それが美しい人生の歓喜にまで高められている初期の名作である。この物語に『白夜』というタイトルを付けたドストエフスキーのロマンチック野郎っぷりが、ほとほと堪らない(すき)。

 なお、わたしは奈倉氏が『白夜』を訳しているときいて集英社文庫の『ポケットマスターピース』シリーズを購入したのだが、現代的でみずみずしく、主人公もヒロインも可愛くてものすごく良い翻訳だった。わたしに奈倉さんのドストエフスキーをもっと読ませてください、後生ですから。

 

『貧しき人々』

 ドストエフスキーのデビュー作で、発表当時ものすごく人気があった作品である。

 小役人の初老のおっさんマカールと、隣家に住む18歳くらいの少女との書簡体小説で、二人の精神的交流や社会のままならなさ、声を奪われる弱者の存在を描いたヒューマニズム小説である。

 このおっさんマカールは実は少女ワルワーラのことを愛しており、とは言え擁護者としての対面もあり赤裸々に自らの気持ちを「手紙」に書き綴ることができない。その秘めたる情熱がおっさん構文を介して紆余曲折しているさまと、夢見がちな善人マカールよりも遙かに聡明で現実主義なワルワーラとの対比を見るのも面白かった。2022年の今、おっさんの少女に対する恋愛ものなど死んでも読みたくないのだが、マカールがキモさを内包しつつも極めて礼儀正しく、ピュアで傷つきやすく善良でなによりミソジニーを内包していないので、読み耐えうることが出来るし、これがなかなか面白いのである。

 発表当初はヒューマニズム小説として称讃を受けたが、いま読むとマカールとワルワーラとの間にも幾らかの緊張関係があることや、当時のペテフブルグの様子を精密に描いた社会派な部分等も見えてきて、奥深い作品である。なお光文社の安岡氏の翻訳で読んだ。光文社は、ドストエフスキーの長編は亀山氏、中短編は安岡氏に主に翻訳を任せているようであるが、安岡氏の翻訳はとても読みやすく綺麗なので良い感じである。

 

『二重人格』(分身)

 ドストエフスキー『分身』を面白く読める人間は、一種の変態と言わざると得ないが、わたしは変態なのでめちゃくちゃ面白く読んでしまった。

 主人公は果てしなく陰キャを煮詰めたような小役人ゴリャートキンで、或る日、彼の目の前に自分と瓜二つの人間が現れるという話である。そしてこの新ゴリャートキンというのが、本体と違って極めて陽気で面白く、仕事もできるのだ。わたしは人間を陰キャ陽キャという括りで二分するのを好まないが、それでも読みながら「陰キャの悪夢のような小説だな」とほくそ笑んでしまった。会社の上司も部下も親友も、軒並み皆はあっという間に新ゴリャートキンにメロメロになり、本体ゴリャートキンは置いてけぼりを食らう。『分身』の筋をラノベ風にいうのなら「陰キャの僕が陽キャの僕に人生を寝取られるなんてそんなの絶対許せない」みたいな感じになるだろう。

 不条理な描写、筋のわからなさ、語り部の揺れなど十九世紀の実写主義の小説界からすれば極めて外道的作品であり、めちゃくちゃ不評で叩かれ捲ったらしいが、今読むと色々な「実験」をドストエフスキーが試みていたことが分かるし、また新しさも発見できる。更に、後期の作品に顕著に表れてくる命題や構成の卵というべきアイデアもいろいろ隠されていて、オタクとしてはそう言う要素を見つけるのも面白い。

 主人公ゴリャートキンは好感度が限りなく低く、また美しくもないおっさんなのだが、まったく同じ姿といわれている新ゴリャートキンはいつの間にか足が五メートルくらいある美青年に脳内変換されたりして不思議である。

 なお参考として、小沼氏の翻訳はとにかく古く、読みにくい。以前この本で読書会を行ったとき、「現在、出回っている『分身(二重人格)』の改編前の作品が存在し、そちらのほうがまだ分かりやすいし面白いので、そのタイプを若々しい翻訳でやりなおしたら良いかもしれない」という意見が出たのだが、全くの同意だし、とても読んでみたいと思う。

 

      ※

 

 

 ロシアの大文豪ドストエフスキーを偏愛する自分として、なぜ自分が海外文学を読むのか、その意味は何なのかといった極めて個人的な問題に直面せざるを得ない一年だった。非常に辛く、また今も辛いが、今こうして誰かに向けて自分の好きなロシアの作家について語ろうと思えていることは幸いだ。わたしは彼の文学からあまりに大きなものを受け取ってきた。ならば、その受け取ったものを通じて社会を眼差し、否と感じるものには「否!」と言い続けれなければならない。それが今、わたしが出来うることだと思う。

 新しい一年の足音が既に聞こえ始めている。2023年、兎にも角にも、紛争が一刻も早く終わることを願って自分に出来ることをやるしかない。あらゆる連帯の声に励まされ、わたしもその声のなかの一つになりたい。そしてまたわたしは、わたしに多くを与えてくれるロシア文学を紐解こう。

アメと豊潤(果樹園SF)

旧世民法第八十八条(天然果実及び法定果実
 一、物ノ用法ニ従イ収取スル産出物ヲ天然果実トスル。
 二、物ノ使用ノ対価トシテ受ケルベキ金銭ソノ他ノ物ヲ法定果実トスル。
                                
 
 
 
 ステーションに煌びやかな車体が到着し、彼女は腰を上げる。人気沸騰中のハヌェル化粧品のパッケージ車は、渋深緑の車体と傍土呂(ぼうどろ)の花弁が印象的だ。目の醒めるような朱色の花々はステンドグラス調になっていて、今季新作のリップタントと同モデルらしかった。
 ピンを飛ばして三両目の空きを確認すると、彼女はドアから身を滑り込ませる。路線図から目的地を指定する。パネルが到着まで四十五分かかると告げてきた。端末で調べて知っていたが、彼女は改めて憤慨する。
 こんなバスに閉じ込められて移動せずとも、配信で視聴できるはずだ。
「それがさあ、できないんだよね」
 アメはさも悔しくて堪らない、という調子でストローを振った。薄モモ色に染められた前髪が、完璧な角度で額に落ちている。三日前に変えたばかりの髪色をアメは気に入っているらしく、実際よく似合っていた。お馴染みのカットカチューシャさえ誂えたようだ。――バスの座席に身を預けた彼女は、昨日の通話を思い出している。
「声優が違うの。配信と円盤に落ちてなくてさ、当時のフィルム番組が独自でアフレコさせたやつのが見たくて」
「見るのはアメじゃない」
「なんだけど! レイが絶対それが良いって言うんだもん、何か息継ぎ? 舌をチッて鳴らすやつ? 分からんけど、その声優の細かい演技がすごいらしい」
「旧フィルムオタクなのに、吹き替え推しなんだね、レイは」
 恋人の名前をゆっくり発音して嫌味に言ったつもりだったが、アメには通じなかった。アメは大きな目を見開くと、我が意を得たり、という表情で頷いた。
「声優にも敬意を払ってるんだって。それにオリジナル版は、今度一緒に観ようって」
 あっそ。
 ディスプレイにピンが打たれる。件の稀少メディアが貯蔵されている場所の住所だった。リンクを開いた彼女は思わず仰け反った。
「遠っ」
「ギナミさあ、ヘシア果樹園に行きたいって言ってなかった? 結構前だけどお。アメなんか記憶あるっぽい、言ってたよね?」
「知らん……」
 彼女は胃の底から声を出したが、ピンを送った時点で彼女が行くと確信したらしいアメは、膝の上にやってきた小動物を構い始めている。毛並みに指を入れながらアメは、週末にはレイに会うから、それまでには欲しいかも、と言った。あっ、でも覚えるのにアメ時間掛かるから、なるべく早めがいいかな?
 いったい、何なんだこの人間は。
 彼女は、苦虫を三十匹まとめて噛み殺した表情になる。アメと話すと、いつもそうだった。アメの身勝手とペースを押しつけられる。
 停車の案内が流れる。他の乗客が指定したステーションに着いたらしい。パネルを確認すると、まだ五駅しか進んでいなかった。
 休日が潰れていく無音に、彼女は耳を澄ます。やわらかさに指の腹を押し当てて、台無しにしていくのと似ている振動。四十五分後には、自分の身体は果樹園に収まっていて、そこで四時間もある旧世代のフィルムを鑑賞する。そのあと、また数時間かけて五千字程度の原稿を執筆する。
 報酬を二倍もらっても良いくらいだ、と彼女は思う。既に暴利に等しい金額を取っているつもりだが、それでも納得がいかない。
 
 
 彼女は副業のことを「流し屋」と呼んでいる。古い呼び方なら、ゴーストライターと言うのかも知れなかったが、ライターと呼べるほどのものではない。彼女が売り物にしているのは、いわゆるメディアに対する「素人の感想」で、買い手もごく普通の一般人である。
 ソーシャルネットワークにまつわるヒエラルキーは、その発足時から存在していたらしい。人間が端末から離れられなくなって一世紀以上経つ今日にあっても、マイナーコミュニティで注目を集めたり、一目置かれることに拘りを持つ者は多かった。コミュニティは細分化されているが、彼女が主に扱うのは娯楽メディアの分野である。新作、旧世代、古典に関わらず、メディアの「感想」をうまく語る行為は、有益なパワーになり得るらしい。だが当然、言語化には得手不得手がある。彼女は、その不得手な人々に、自分の「感想」を売りさばくのだ。ヤクザな仕事だと自覚しているが、買う方もどうかしているので良心が痛んだことはない。
「そういうの、虚しくない?」
 二つ年下の兄弟にあたるワダは、彼女の副業を知ったとき身を震わせた。ワダは彼女に比べて、常識的で善良だった。
「虚しくない。メディアからすれば、語られる口がどれであろうと関係ないんだよね。文化資産としての評価はさ、とにかく語られることが大切だから。それに、私の所感に別の誰かの名札が付いたとして、私が受け取ったものは無にならない。何の問題ないよ」
「究極のオタク発想でこわい。友達、作ったら?」
 唯一の友達の依頼から始まった話だ、ということを彼女は説明しなかった。話せば、ますますワダは怖気立つだろう。
 アメは、スクールのときの同級生だ。当時は、互いの顔を知っている程度だった。アメは誰とでも仲が良く、ほとんど授業にログインしない彼女にまで気を回している余裕がなかった。親しくなったのは、スクール卒業後、彼女が働くドリンクスタンドにアメが客として来るようになってからだった。注文のドリンクを作っている彼女に向かってアメは「あっ、顔見たことある」「リアルで会うの初かも」「知ってる人がいるとうれしい。毎日来よっかなあ」と、歯を見せて笑った。そして実際、毎日来た。上級技師の資格試験に向けて、アメは一日九時間ドリンクスタンドで勉強した。根負けした店長は、アメのために月額会員制を始めた。彼女はピスタチオペーストにヒナミルクを混ぜ込みながら、密かに感嘆の念を膨らませた。アメは粘り強かった。
 アメの粘り強さは恋愛面でも発揮された。アメは気になる相手がいると必ず交際まで持ち込んだ。自由に振る舞っているように見えて、相手が何を欲しがっているのか察する能力は高かった。好きな相手が出来るごとに、アメは髪型も洋服も全部変わった。自分の着たい服とかないわけ、と二週間前に変えたばかりの髪色をまた変えたアメが目の前に現れたとき、彼女は口の端を歪めたが、アメは「相手が喜んで褒めてくれるやつが好きなの、アメ何でも似合うから」と事もなげに言った。確かに、どんな格好でもアメが最高でなかったことなどなかった。
 最近、職場に入ってきたレイが気になる、でも上手く喋れない、とアメが相談してきたのは半年前のことだ。彼女とアメは華覧街で新しく発売された化粧品を見たあと、屋台に座って水飴を飲んでいるところだった。
「レイ、旧フィルムの鑑賞が趣味なんだって。渋くない? だけどアメ、メディア詳しくないから不利すぎる」
「不利って?」
「このあいだちょっと話したら、一緒にメディアとか見れる人が良いんだって!」
 アメは、レイが好きだという幾つかの古いフィルムの名を挙げて、知っているかと訊いてきた。スクールに顔を出していなかった時期、古今のメディアを片っ端から鑑賞することで何とか息が出来ていた彼女にとっては、どれも馴染み深い名作ばかりだった。彼女が答えると、アメは地団駄を踏んだ。
「はあ? ギナミがレイと付き合えばいいじゃん!」
「暴論」
「でもさあ、まじでギナミはレイと話合いそうなんだよね。そういえば、ギナミってこないだ評論で賞取ってなかった? 羨ましすぎる、アメってメディアとか観ても全然うまく喋れないから……」
 その才能売ってくんないかな、とアメが低く呟く。彼女は珍しく曇り気味のアメの横顔を堪能したあと、瓶に入った水飴を傾けながら、高いよ、と返した。季節限定だという小瓶入りの水飴は涼しげな薄荷色で、透き通った液体を光に晒すとオーロラが吹き上がる。
 そうして、彼女が水飴を飲み終わる頃には、彼女の意思に関わらず、なぜか「そういう話」になっていた。
 
 
 レイと付き合ってからも、アメはたびたび仕事を寄越した。それどころか、彼女の仕事ぶりを友人らに吹聴したらしく、いつの間にか見知らぬ人間からも依頼が届き始めた。彼女は副業の収入だけで、マンションの家賃がすっかり払えるようになった。
「虚しくない?」
 ワダの声がリフレインする。
 何が虚しいのか、彼女には解くことができない。メディアの分析が上手くとも、自分は対象外なのだろう。あるいは、アメが絡んでいると。
 他者が発したメディアの所見をすっかり覚えて、アメはレイと楽しく会話できているのだろうか。関係が続いていて、嬉しそうなアメの姿からすると答えは「是」だ。ボロが出ないはずはないのだが、アメはレイと上手くやっている。
「バレちゃった」とアメが連絡してくる日を、彼女は待っていた。そもそも、アメが立てた陳腐な作戦など初回のデートで失敗するはずだった。にも関わらず、未だその気配はない。分かっている。レイはもう知っている。
 再びパネルから音が鳴る。次のターミナルが目的地だった。「ヘシア果樹園前」と浮かんだ文字を彼女は視線でなぞる。
 殆どの情報が電子記号でやりとりされるようになって久しいが、データ化から取り残された物質財産や、一部のマイナーデータを保管管理する大型施設が存在する。分野によって細分化されたそれらの施設は、一般に「果樹園」と呼ばれている。旧世民法では、物質から得る利益のことを果実と言ったらしく、その名残らしいが、彼女も詳しくは知らない。
 彼女は免疫検査を経て果樹園に入る。適切に管理された空調が心地良かった。館内案内を端末にダウンロードして調べると、一階から五階までは紙質の書籍で埋め尽くされている。彼女は奥にあるエレベーターに乗って、映像媒体が保管される七階へと向かう。
 エレベーター内は清潔で明るかった。お馴染みの浮遊感が爪先から入ってきて、身体のなかを滑っていく。彼女はゆっくりと目を閉じた。何の匂いもしない空気を肺一杯に吸い込む。
「ギナミって、いつも悲しそうだから。なんでか分からんけど。で、アメもギナミと一緒にいるとき、悲しい気持ちになんの。アメ、あんまり悲しい気持ちになることないんだけど、ギナミがなんで悲しいのかって考えるとね、この世が悲しいからなんかなって思ったりする。なんでギナミが悲しいんか分からん過ぎて規模がデカくなる。ギナミといるときだけ、そういう気持ちになって、しかもアメそれが結構、嫌いじゃなくてさあ、変だけど、全然嫌じゃないんだよね。上手く言えんけど、これ、ギナミ、アメの言ってる意味とか分かる?」
 自分たちはなぜ友達なのか、というような面倒くさいことを、いつだか彼女が言ったとき、アメが返してきた言葉だ。彼女は、ほとんど告白みたいじゃないかと感じたが、アメはそうとは思っていないようだった。
 彼女は目当てのメディアを探し出すと、カウンターに届け、鑑賞スペースにピンを打った。今日が終わるころには、役に立たない原稿が一本仕上がっているはずだ。
「虚しくない?」
 彼女は鑑賞スペースのシートに寝そべりながら舌打ちをする。ドリンクを買ってくるのを忘れていた。
 彼女は端末を弄りながら、分からんけど(これはアメの口癖だ)レイヤーの違いじゃないかな、と胸中でワダに答えた。
 確かに、休日を費やして書いた原稿が、依頼者の思っているような本来の役割を果たすことはない。レイはもう、自分の気を惹きたくて仕方がないアメが愛しい段階に入っていて、つまりアメの渾身の作戦と頑張りは茶番で、更に言うならそのために甲斐甲斐しく働いている自分は道化ですらない。まったく、なんという不毛。たわわに実った不毛たち、不毛の大豊作だ。
 自分とアメのあいだに、昔の人が指したような「果実」は存在しない。とにかく今は。あるいは、未来永劫。
 それでも、他者への摩擦のために命を使っていかないと、溢れかえる世界に溺れてしまいそうになるのだ、と彼女は思う。否、誰かなんていう言い方は良くない。それは自分の愛する人間、アメのためだ。実らない果実。息が詰まるくらいの不毛さ。でも不毛を愛せなかったら、自分は生きていかれない気がする。不毛と虚しいは多分違う。違うはずだ、と彼女は思う。
 
 室内灯が消え、フィルムが始まる。
 彼女は数度瞬いて、自分に没頭を許す。 
 

約束された勝利のドストエフスキーオタク #ぽっぽアドベント2021

 はじめに

 はとさんのご好意により、今年も #ぽっぽアドベント2021 に書かせて頂けることになりました。
 とても楽しみにしている企画で、今日までの記事もどれも楽しく読ませて頂いています。皆さんの語られる歓びに触れるたびに、もちろんそればかりではなく、深い溝がどの日々にも横たわっているだろうことに思いを致しつつも、それでも日々を重ねる人生の祝福を聞くような気持ちになっています。
 ちなみにわたしは昨年、#ぽっぽアドベント で自立と生活を手にした喜びを綴った「椅子とせいかつ」という記事を書かせて頂きました。

 

kakari01.hatenablog.com

 

 自分の生活の手触りを言葉に出来て、自分でも楽しく書いた記事でしたが、反面、わたしの迸るオタクパッションは鳴りを潜めてしまった部分があり、そこが反省点でもありました。
 もっと、わたしの情熱をぶつけた記事を書いてみても良いんじゃないか。
 そう思っていた頃に、今回の「私の望みの歓びよ」という題材を頂いたのです。題材を見た瞬間「もう、絶対に書くしかない」と思ったのは、わたしのライフワークになっている『ドストエフスキーオタク』としての生活です。
 以下、ご笑覧いただければ幸いです。

 

                ※

 


 今年はドストエフスキー生誕二百年だった 

「今年は何の年だったか知っていますか?」

 街頭でアンケートを取れば、恐らく様々な言葉が返ってくるだろうが、もし万一にでも「今年、2021年はロシアの大作家フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキーの生誕二百年目でした」と嬉々として答える人間がいたら、そいつはロシア文学者か過度の文学好き、もしくはわたし(ドストエフスキーオタク)だろう。
 そう、今年は記念すべきドストエフスキー生誕二百年目だっだのだ。
 今、この記事を読む多くの人にとっては「えっ、そうだったの?」という初耳案件だろうし、「だから何なんだ」という疑問さえあるかも知れない。
 だが、わたしのようなドストエフスキーオタクにとっては、今年2021年は最早祭りであり、大忙しの一年だった。
 実のところ、今年は世界中の様々なところでドストエフスキーに関するシンポジウムが開かれ、論文が書かれ、雑誌に特集号が組まれ、世界を跨いでの「罪と罰」全通朗読が配信されたりと、とにかくドストエフスキー界隈としては盛り上がりに盛り上がっていた。
 また、いまだ感染症の猛威が収まらない最中なので、シンポジウムの様子はZOOM等で配信され、一般公開されたりと、怪我の功名的なささやかな喜びもあった。さすがにモスクワ大学の学会には恐れ多くて繋げられなかったが、日本の大学の露文学科の学会で推しのロシア文学者の発表を聞けたりと、めちゃくちゃ有り難い体験も出来た。
 NHKでは「100分de名著」で『カラマーゾフの兄弟』の回が再放送され、更に朝の情報番組では「ドストエフスキーと若者」という題材で、今若者のうちでドストエフスキーがどのように読まれているかが紹介されたりもした。(なお、この番組では通りすがりのドストエフスキーオタクの若者がインタビューを受けたりしているのだが、果たしてドストエフスキーオタクの若者が街角で偶然捕まるのものかという部分まで含めて色々な面白さが宿っていた)

 

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写真1 現代思想ドストエフスキー特集』 表紙がお洒落で嬉しい


 このように、ドストエフスキー界隈は、知る人ぞ知る感じで「祝祭年」を迎えていたのである。
 九年ほど前に「カラマーゾフの兄弟」を読んで以来、もうハマりにハマってしまっているわたしにとって、ドストエフスキーは自ジャンルである。(ちなみに読んでいる作品数自体は多くない。厳密に言えば、わたしは特に『カラマーゾフの兄弟』に特化したドスオタなのである)
 嗚呼、自ジャンルの祭り。
 十九世紀のロシアの小説である、どんな推しであっても誕生日は不明だ。
 ならばもう、この祝福は作者の誕生日に捧げるしかないではないか!
 と、言った人がいたかどうかは不明だが、とにかくドストエフスキーオタク界隈の末席にいるわたしにとっても、非常にありがたい一年だったのである。

 

 

 そもそもドストエフスキーオタク」とはなんぞや

 今更だが、ドストエフスキーオタクについて説明しようと思う。
 少し前は「ドストエフスキークラスタ」通称ドスクラとも呼ばれていたが、いまはドスオタのほうが通りが良いようだ。
 わたしが指す「ドスオタ」は狭義で「ドストエフスキーの小説作品にたびたび登場する巨大感情に色々を見出しては、日夜、酸素を吸って燃え上がっている人間たち」のことを指す。
 世界古典名作文学として名高い『カラマーゾフの兄弟』が、至高の兄弟巨大感情物語であり、語り出すと九年経っても未だ口が止まらない(わたしである)ほどの熱量を秘めた作品であることを知っている人は、いるにはいるが、未だ一般常識になるには至っていない。
 ええ、そりゃあもう、すごいんですよ!!!!!!!!!!
 感情のすべてをビックリマークの数だけで示すことが出来たら一京個くらい付けたい気持ちだが、多分伝わらないので十個で我慢しておこう。
 『カラマーゾフの兄弟』は最高だ。
 もうこの記事を読み始めてしまっているあなたに謝罪しなければいけないのだが、わたしは最初から「読んで下さった人にカラマーゾフの兄弟を買わせたい」という気持ちでこれを書いている。この記事は策略です。
 だが、どうか許して頂きたい。何と言っても、ドストエフスキーオタクには、ジャンルの良さを広める機会が少ない。
「強豪校『山月記』は、教科書に掲載されるという禁じ手で文学BL界の頂きに留まっているが、われわれだって教科書にさえ載れば、毎年オンリーイベントが開かれる大手ジャンルになれるのに……!」
 これは、一部のドストエフスキーオタクが東京に集まるオフ会で実際に話されている会話の一部である。
 『カラマーゾフの兄弟』が高校の国語の教科書にさえ載ればな!
 次男イワンが三男アリョーシャからのキスを受けて「盗作だぞ!」と有頂天になって叫ぶシーン、自分が不幸の目前にいるにも関わらずふいに「イワンを愛してやってくれ!」と長男ドミトリーが叫ぶシーン、若しくは下男スメルジャコフがイワンに……などと、掲載箇所を考え出すと切りがないのだが、そうなると「この素晴らしい作品から一カ所など選べるものですか、全部載せてくださいまし」となり、結果的に上中下巻分を一挙に掲載した鈍器のような国語の教科書でもって全国の高校生の通学鞄の底を抜いてしまうしかないので、夢は夢のままである。
 「長い、暗い、難しい」と思われがちなドストエフスキー作品が、しかしどれだけ刺激的でポップに面白く、また愛に満ち、人間の暗い果てしない絶望に寄り添い、弱い立場の人間を注視し、人生に多くのものを与えてくれるかを、端的に語り尽くせるものではない。
 なので、わたしはTwitterではライトな側面を押し出し「登場人物全員、あまりにキャラが濃い」「最高に面白く、ライトノベルの走りとさえ言われている」「カラマーゾフの兄弟ラノベ風のタイトルで言うと『俺が父親殺しの犯人なんてそんなの絶対認めない』になる」「兄弟BLの嵐」「地上に出現した破滅BLの明星」「ややこしい男がややこしい男を愛して破滅していく形式美は今なお語り継がれてやまない」などの売り文句を使って、少しでもこの作品を手に取る人が増えるように草の根活動を行っている。
 また、ドストエフスキー作品にハマると全てがドストエフスキーに見えてくる病もあるため、うなされながら「進撃の巨人ドストエフスキー」「ゴールデンカムイドストエフスキー」などと発言しては、他ジャンルの人が興味を持ってくれるのを待っていることもある。

 

 

   上記は、数年前にドストエフスキーオタク内で「尾形百之助というドストエフスキー作品で肩を切って歩けそうな男が出てきた」ということで『ゴールデンカムイ』が流行したときの様子を振り返ったツイートであったが、思いがけずにRT数が伸び、ゴールデンカムイを経由してドストを読んでくれた方もいたようである。
 普段、RT数が伸びて良い思いをすることは少ないのだが、こればっかりは「ありがとうTwitter、ありがとうゴールデンカムイ……!」と天を仰いだ。
 盛り上がっていた頃を思い出すと、ドストエフスキーオタクのうち数名は、尾形本を出してオンリーイベントへ繰り出し、なぜか「ドストエフスキー欲張りセット」という謎めいたセットを売っていた。わたしは打ち上げに参加して、あんこう鍋のご相伴にも預かったのだが、しきりに「やはり作者存命ジャンルは勢いが違いますね……」と神妙に言い合われていたのが面白かった。
 わたしも『ゴールデンカムイ』は楽しく読んでいるが、ロシア編で皇帝暗殺やナロードニキ運動付近の背景を噛ませているあたり、かなりドストエフスキー作品の舞台と接近しているように思える。
(ちなみに、ドストエフスキー作品の翻訳で知られるロシア文学米川正夫氏は、『ゴールデンカムイ』本編とされる時間軸から数年後、第七師団のロシア語教師に抜擢されており、その仕事と並行してドストエフスキーを翻訳していたようです)

 ちなみに過去、ユーリオンアイスが放送され、作中に出てきたシャネルのリップクリームが特定班によって明らかになり馬鹿売れしたという噂を聞いたときには「頼むからヴィクトルの本棚にドストエフスキーの本を置いてくれ!」「ちらっと映すだけで良いから!あとは特定班がなんとかしてくれるから!!!」「同郷のよしみでお願いしますユーリオンアイスさん!!!」などと、ドスオタが揃って騒いでいた。藁にも縋るではないが、大手の人気に縋ろうとする図々しさも厭わないのが極北ジャンルの特徴である。
 ドストエフスキーのオタク(二次創作などを楽しむ層)は、多分アジアで百人くらいではないだろうか。
 そのため、ドスオタは他国のドストエフスキー同人事情にも詳しい。今年は中国で、ドストエフスキー二百年祭を記念して二次創作アンソロジーが発売されたが、これも我がことのように嬉しかった。
 数年前に日本でドストエフスキーアンソロジーカラマーゾフの犬』が出たときも(わたしも小説で参加させて頂いた)、海外ファンから通販の問い合わせがあったという。
 少人数であるがゆえに、世界を跨いでオタクの繋がりが出来るのも、古典名作文学ならではという感じである。

 

 

 大手による二次創作という旨味

 さて、自ジャンルが古典名作だと、良いことがあるだろうか。
 公式グッズが頻繁に出るでもなし(※ドスオタは版権切れの翻訳で自らグッズを自作しています)、コラボカフェがあるでもなし、ファンが多いでもなし、と福利厚生は乏しいと思われがちだ。

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写真2 著者の所持するドストグッズの全て。トートバッグとキーホルダーは版権切れ翻訳を駆使して作成された同人グッズである。(ドストエフ数寄大名さん作成のトートバッグは今冬に再版が予定されている)

【再販】ドストエフスキー『悪霊』台詞攻めトートバッグ - キリーロフの犬 - BOOTH

  グッズ展開などの部分でいえば、作者存命の連載中ジャンルなどに比べると、心許ないことは認めざるを得ない。
 だが古典には、名作ならではの『翻案』という強みが存在する。いわゆる、大手による二次創作だ。
 原作を元にして作られたドラマや舞台は数知れず、更にはコミカライズ化、別作家による「続編」の作成やパロディー作品など、翻案作品は作者が死去して百四十年が経つ今となっても尽きない。また、そのために自ジャンル仲間にアルベール・カミュがいたり黒澤明がいたりするのも素晴らしいところだ。特にカミュなどは強火のファンなため、脚本化だけに飽き足らず、作品内にドストエフスキーの台詞を引いてきたり、エッセイにおいてかなり長文のキャラ語りを盛り込んで「キリーロフくんは僕の男ですけど?」と古参アピールを表明してくるなどしていて、追いかけ出すとなかなかに楽しい。
 また近年の日本でも、フジテレビが「カラマーゾフの兄弟」を市原隼人を主演でドラマ化したり、『罪と罰』が舞台化されるなどしてきた。
 ということでここで最後に、2021年のわたしの人生にものすごい太さの杭を打ち込んできた韓国ミュージカル版『ブラザーズカラマーゾフ』の話をさせて欲しい。

 

 

 韓国の新作同人誌 ミュージカル『ブラザーズカラマーゾフ

 韓国ミュージカル版『ブラザーズカラマーゾフ』(通称:ぶかま)は、韓国の小劇場が2018年からたびたび公演している大人気舞台である。
 実は一年前くらいから、わたしも日本にいながら「何だか最近韓国のドスオタが活気づいているな……」とは薄々気付いていたのである。
 しかし、その全貌を知り、衝撃を受けたのは今年の秋頃だった。
 ざっと説明すると、『ブラザーズカラマーゾフ』は、膨大なエピソードを持つ小説『カラマーゾフの兄弟』を二時間くらいのミュージカルにまとめた作品である。
 登場人物は、父フョードルと、長男ドミトリー、次男イワン、三男アリョーシャ、下男スメルジャコフの四名だけという単略化がなされている。そして物語も、ざっくりと兄弟間の巨大感情だけに絞った脚本になっている。

 


www.youtube.com

※促進のために、ミュージカル配信メディアがまとめたハイライトを貼っておく。ハイライトの冒頭は物語の中盤、兄弟の全員に父親への殺意があったことが明らかになる喧嘩曲「戯れ言」である。記事を読んだ後、興味が沸いたら観て下さい。

 

 この、兄弟間の巨大感情に絞った脚本というのが大変だった。
 youtubeでまとめ画像を見たわたしは「!!!!?」という衝撃に襲われた。
 そこには、わたしがこれまで観たいと思っていた幻視が詰まっていたからだ。原作の全くの再現ではない。しかし、実に上手い再構成であった。更に、一見突飛に見える「古典」と「ミュージカル」という組み合わせも、「ドストエフスキーの登場人物たちは、病的に興奮し出すと一息で十ページくらい喋り続ける」という作風ならではのテンションの高さと噛み合っており、突然登場人物たちが歌い出すことに寧ろ安定感さえあった。
 ちなみに、わたしは『カラマーゾフの兄弟』ではスメイワ推しなのだが、このCPに焦点を当てた脚本に仕上がっているところも見逃せない。
「何だか最近韓国のドスオタが活気づいているな……」と呑気にしている場合ではなかった。まったく、なかったのである。
 急いでわたしは韓国のぶかまファンと思われる人たちのTwitterを遡り始めた。するとなんと、湧くようにファンアートが出てくるではないか!!!
 十九世紀ロシア文学ジャンルの人間にとって、二次創作作品とは「年にいくつかは天から頂ける恵み」である。それくらいに、数も少なければ常時書いている人間も少ない。現に、これを書いているわたし自身も(感情が大きすぎることもあって)ドストエフスキー作品の二次作品は滅多に書かない。
 それがこんな、辿れば辿るほど出てくるなんて……!!!
 日本だとあまり人気が無いスメルジャコフのファンアートの数が多いのも嬉しかった。ぶかまの脚本は、スメルジャコフに優しいのだ。ああ、年に数個の恵みと思っていたものが、一夜にして数知れず存在すると知ったときの眩暈の喜びが伝わるだろうか。ある夜は、ひたすらお気に入りとブックマークに作品を入れながら「もしかして、今一生分のカラマーゾフの兄弟のファンアートを摂取しているんじゃないだろうか……」と不安と動悸に苛まれたりもした。今も苛まれている。幸せな悲鳴である。
 言うまでもないが、ファンアートは漫画も小説もすべてハングルで書かれている。
 人生何が起こるか分からないと言うのは本当だ。よもや、自ジャンル(十九世紀ロシア文学)の二次創作を読むために、韓国語を勉強する日が来ようとは。
 わたし自身、もともと韓国映画が大好きで、周囲の友人たちが作品にハマっては韓国語習得に精を出し始めるのを横目で見ながら、「いつかはわたしも運命の韓国映画に出会って……」と思ってはいたのだ。だがまさか、ロシアと韓国がシベリア鉄道で繋がってしまうとは思ってもいなかった(※概念上での話です、もちろん)ああ、イワン・フョードロヴィチ・カラマーゾフがパソコンで論文を書きながら大学院に通ったり気怠そうにスマフォを扱ったりする現代パロディー小説を読むのに韓国語が必要なんです本当なんです!!!
 ということで、ぶかま公演自体が韓国語でなされていることと、素晴らしい二次創作を楽しむために現在、わたしは韓国語を習得中である。単語がとにかく覚えられなくて毎日苦労の連続だが、それでも曲の一節が聞き取れるようになったり、二次創作漫画の簡単な台詞が辞書なしで読めたりすると途方もなく嬉しい気持ちになる。

 

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写真3 韓国から取り寄せたぶかまサントラ。マジで生きているといいことがある。

 

 『ブラザーズカラマーゾフ』は全ての役にトリプルキャストを起用していて、様々な組み合わせで公演されている。加えて今年は、ドストエフスキー生誕二百年を記念して、三組の組み合わせで4Kカメラ十台による撮影が行われた。
 一つ目の組が今年の夏に配信が行われて話題を攫ったのであるが、遂に、残りの二つが今月12月と来月1月に渡ってNAVERでの配信が決定した
 日本にいながら、韓国ミュージカル版ミュージカル『ブラザーズカラマーゾフ』が観られるチャンスである。しかも値段は、一公演で2000円と来ている。
 今後の予定が分からないにも関わらず、わたしは友人たちの手を借りつつ必死にNAVER登録を済ませ、とにかく四回あるすべての公演のチケットを買った。仕事の予定が不安定ではあるが、もはや観られる観たれないの問題ではなかった。機会と作品存在に対する祝福であり、感謝である。
 なお最初の配信が12月6日にあったが、本当に最高に良かったので、興味がある方は是非、この舞台を観てみて欲しい。原作未読でも全く問題がない舞台です。(NAVER登録の方法、字幕なし放送に伴う翻訳の紹介については有志の『ぶかま互助会』が存在するので、気になった方はわたし宛にお気軽にDMをください)

※ちなみに当記事が更新される12月20日にも配信があって、わたしの心は千々に乱れています。お祈り下さい。(1月配信は3日と10日です)

 

 

 約束された勝利のドストエフスキーオタク

 はとさんから「文字制限はないよ」と言われたとしても、流石に長すぎると読む人が疲れてしまうので、そろそろまとめに入ろうと思う。
 つい先日、昨年発売された杉里直人翻訳による『詳注版カラマーゾフの兄弟』を読み終わったのだが、既に何度も通読している物語にも関わらず、本当に面白く読めた。ちなみにこの翻訳は、日本においてこれまでにないほど現代的に読みやすい文章、更に原文に忠実に訳された素晴らしいもので、かつ詳細な注釈が別冊で付いているというマニア涎垂ものの一冊である。

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写真4 父親殺害時の凶器とも噂された鈍器本 水声社『詳注版 カラマーゾフの兄弟』なお、うちの業界では新訳が発売されると「新刊が出た」と祭りになり、持っている作品でも大抵買ってしまう。

 

 なぜ同じ小説を何度も読むのか。
 正直なところ「おもしろいから」としか言いようがないのだが、『カラマーゾフの兄弟』は本当に、どんなにたびたび読んでも「今回の読書が一番面白かった」と思わせてくれる喜びがある。
 ドストエフスキー作品には、さまざまな仕掛けやメッセージが仕掛けられていて、読む度に新しい発見がある。自分の人生の経験により、読むたびに受け取れるものが増えていくような喜びがあり、更には新たな発見によって、今まで読んできたと思っていた物語が、全く姿を変えて立ち上がることさえある。
 わたしはドストエフスキーの作品、とりわけ『カラマーゾフの兄弟』が大好きだ。作品に触れるたびに、深い喜びを感じる。
 そして今年は、それを多くの人たちと分け合うことが出来た一年だった。
 オタクにとって、これほどの歓びはない。まさに「私の望みの歓びよ」を深く感じた一年であったことは、言うまでもないだろう。通勤の最中、幸福を噛みしめながら「なんとかして、来年も生誕二百年ということにならないだろうか」と頭を悩ませたほどである。
 古典名作がジャンルだと、思いがけない栄光に出くわすことがあるものだ。
 そのため、「ドストエフスキーのオタク?」と見知らぬ人に半笑いで言われることも結構で、何なら面白がってもらえること自体が興味を持ってもらえるチャンスだと信じている。そしてわたしたちは熱い心臓を抱き、天高く右手を突き上げて言うだろう。

 我々は、約束された勝利のドストエフスキーオタクである、と。

 

 

 以上のとおり、極北に生きるドストエフスキーオタクにとって今年は至福の一年であった。
 日々社会を憂い、自分や他者の人生を憂い、怒ったり泣いたりすることも尽きないのだが、本当に「生きていると良いことがある」と実感した一年でもあった。ありがとうドストエフスキー、ありがとう生誕二百年祭、ありがとうブラザーズカラマーゾフ、ありがとうドストエフスキーオタクの人々とそれを見守って下さる人々、わたしは罪深い人間ですが、みんながそれを許してくれますからね!
 不幸も苦痛もたくさんあるけれど、それはそれとしてやはり人生全体としては祝福したい、とアリョーシャの台詞をもとに願いを込めつつ、この記事を締めたいと思う。長文を読んでくださり、有り難うございました。

 

 こういう記事の最後にしれっと自社の商品を貼り付けて誘導するようなブログ商法を軽蔑していたのですが、今後はもう少し優しい目を向けていこうと思います。ああ、『カラマーゾフの兄弟』は最高なんです。再び謝罪しなければいけないのですが、あなたは今日ここに至るまでにドストエフスキーの話を既に一万字くらい読まされています、すみません。もうこの記事が読めたのなら、『カラマーゾフの兄弟』も読めるはずと断言してもいいのではないでしょうか! なお、ロシア人名表などもドストエフスキーオタクが作成頒布しておりますので、気になった方は「カラマーゾフ 人名」でTwitter内検索してみるか、お近くのドストエフスキーオタクまでご連絡ください。

 今度こそ本当にお仕舞いです。

 

 明日のぽっぽアドベント2021担当は、雨漉天才 さん「ゆっくりオタクに戻るはなし」です。わたしもオタクなので、とても楽しみにしている記事です。どうぞよろしくお願いします!